メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

母語の喪失「思い出は標準語で蘇ってまいりました。絶望的な痛みから逃れるために」

この10年ぐらいの間、トルコの経済が成長を続け、イスタンブールのような大都市で雇用が増大すると、南東部から多くのクルド人が大都市へ移住するようになりました。また、最近は南東部のディヤルバクルにも、イスタンブールにあるのと同じようなショッピングモールがオープンして人気を博しているそうです。おそらく売られている商品等も大差はないでしょう。
それどころか、国境を越えた北イラクにも、トルコから商品がたくさん入って来て、経済的な結びつきはますます強くなっていると言われています。あるトルコのジャーナリストは、「かつてトルコ共和国は、トルコ語民族主義的なイデオロギーで国内に広めようと躍起になっていたが、経済力がついたら、ビジネスと共にトルコ語は国境を越えて広まりつつある」と書いていました。
こういう話をすると、『そうか、トルコ共和国同化政策が功を奏し、母語を失ってしまう人が増えるのだな』と思う日本の人が少なくないだろうけれど、近代の日本で、母語を失ってしまった人々はいなかったのでしょうか。
数年前、イスタンブールで邦人企業が進めているトンネル工事の現場へ日本から働きに来ていた奄美大島出身の親方は、「トルコ語って日本語と語順が同じか? それなら俺は直ぐに話せるようになるな。だって、俺は日本語もそうやって勉強したんだから。でも、最近は島言葉のほうを忘れてしまって、島へ帰ってもお祖母ちゃんと巧く話せなくなった」と嘆いていました。このように、世代間で会話が成り立たないという現象は、沖縄でもかなり問題になっているそうです。これは、母語の喪失による大きな問題じゃないでしょうか。
私と同世代の沖縄の人から、子供の頃、学校で島言葉を使うと教室の隅に立たされたりしたという話を聞いたこともあります。

 トルコ語を勉強すれば、トゥルクメン語やウズベク語を聞いて、何を言っているのか殆ど解らなくても、それがトルコ語系統の言葉であることは直ぐ感じ取れるようになるけれど、沖縄の言葉を始めて聞かれた方は、『あれ?これ何語だろう?』と当惑されるんじゃないでしょうか? また、沖縄の言葉ほどではなくても、東北や九州の言葉の中には、標準語からかなり懸け離れた方言が少なくありません。
辛うじて、『日本語の方言かな?』と思うだけで、何を言っているのか全く解らない場合もあるでしょう。あれを全て同一の言語であると主張するならば、トルコ語ウイグル語も同一の言語、ペルシャ語クルド語、イタリア語とスペイン語等々も各々が同一の言語であると看做してもおかしくないそうです。
三上寛の歌に、「思い出は標準語で蘇ってまいりました。絶望的な痛みから逃れるために・・・」という一節があったけれど、クルドの人たちであれば、つまり「思い出はトルコ語で蘇ってまいりました」といったところでしょうか。しかし、三上寛が、津軽言葉の保護に格別尽力したという話も聞いていません。これでは、人々の間から、母語である方言を守る運動が沸き起こらないのも道理です。
現在の日本で、各方言について研究しても、それほど脚光を浴びることはないだろうし、何よりも、まずは経済的な利益が得られないでしょう。イスタンブールで、クルド人である我が家主さんが、クルドの文化や言語の保護に殆ど関心を示さないのも、まあ、そんなところじゃないかと思います。