メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

オスマン帝国の国歌


National Imperial Anthem of Ottoman Empire:"Mecidiye Marşı"(Mecidiye March) 1299 - 1923

 オスマン帝国の国歌、私は聴くのも初めてですが、それ以前に国歌の存在自体知りませんでした。壮麗な曲調が、オペラの序曲を思わせるけれど、それもそのはずで、作曲者は有名なイタリアの作曲家ガエターノ・ドニゼッティの兄ジュゼッペ・ドニゼッティなんだそうです。国歌の作曲まで、お雇い外国人にやらせていたというのも凄いと思いました。

西のオスマン帝国に対して、東の清朝はどうだったのか調べてみたら、中国人の作曲による“鞏金甌”という国歌が、1911年に制定されています。曲調もかなり中国風で、中華の矜持を感じさせるものの、翌年には辛亥革命が起こってしまったから、演奏の機会はそれほど多くなかったかもしれません。清朝は、国歌の演奏という西洋の文物を取り入れることに、なかなか踏み切れなかったようです。

大清帝國國歌 - 鞏金甌 Qing Dynasty anthem (1911-12)

現在は、あれだけ西洋文明に抵抗しているイランでさえ、国旗を掲揚して国歌を演奏しているのだから、これはもう完全に世界の文物と認められているのでしょう。イランの国歌が、結構、西洋のマーチ風であるところも、何だか妙に納得してしまいます。


National Anthem of the Islamic Republic of Iran

昨年何処で読んだのか忘れてしまいましたが、ある欧米の識者は「トルコがイランのようになる心配はない。そのうちにイランがトルコのようになるだろう」と語っていたそうです。

これからトルコで、イスラム的な傾向が多少増す可能性はあっても、それはおそらく道徳的な部分に限られ、かえってイランのほうで民主化が進み、“石打の刑”といった前近代的な法の適用は、徐々に無くなって行くだろうという趣旨じゃなかったかと思います。やはり、世界の歴史的な流れから見れば、そんなところじゃないでしょうか?

この前、イランを訪問したトルコのギュル大統領は、イランのアフマディーネジャード大統領に遠回しな表現で民主化を迫りながら、同時に、自由市場経済への参入も促したそうです。トルコにとっては、後者のほうが特に重要だったかもしれません。

そうなれば、トルコは、イランにとってヨーロッパへ開かれた門となり、物流の要衝として利益を上げることができるでしょう。有名なトルコ石も、実際の産地はイランだけれど、トルコを通してヨーロッパへ売買された為に“トルコ石”と呼ばれるようになったと言われています。

グローバリズムというのも、トルコにしてみれば追い風であるかもしれません。もともと中継貿易で栄えてきたわけだから。現在では、エネルギー資源の通り道としても注目されているようです。