メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

今日からバイラム

8月1日に始まったラマダンの断食も昨日で終わり、今日から3日間のバイラム(イスラムの祝祭)です。

7月に引っ越すまで、エサットパシャのアパートには4年近く住んでいました。部屋の家主は、近くに住んでいるペンキ屋さんで、家賃収入を得る為に所有する部屋を貸していたものの、事情が変わって、自分たちがそこで暮らすことになり、私はていよく立ち退かされてしまったわけです。

そのため、家主のビュレントさんは多少なりとも私にすまないと思っていたのか、母が滞在中、一度夕食を御馳走したいと言ってきました。私は断食明けの食事に招待されたのかと思い、夜8時を過ぎる日没まで待った場合、イスタンブールの外れにある新居へ帰るのが遅くなってしまうから、断食明けまでは待てないと応じたところ、「では6時頃に来て下さい」という返事でした。

それで6時に旧居を訪れたら、いくらも待たない内に、3人分の料理が用意され、私と母の他にビュレントさんだけが食卓に着き、料理を作った奥さんや高校生の息子、中学生の娘、そしてビュレントさんの弟は、断食を実践しているのか、ソファーに腰掛けたまま、こちらの食事風景を眺めています。

ビュレントさんに、「貴方は実践していないんですか?」と訊いたら、「私はペンキ屋なんでね。この暑さの中で水も飲まずに働くのは無理ですよ」と笑っていました。暑いだけでなく、8月の初めの頃、イスタンブールは17時間に亘って日が沈まないから、きつい仕事をしている人たちにとって、実践はかなり困難に違いありません。

料理はとても美味しくて、ちょっと驚いてしまいました。ビュレントさんには悪いけれど、あんな美味い料理が出てくるとは思っていなかったのです。

それから、ビュレントさん夫婦の会話が、直ぐクルド語になってしまうことにも驚きました。ビュレントさんは高校生の息子といつもトルコ語で話していたので、いつだったか、「息子さんはクルド語解るの?」と訊いたところ、「聴くのはある程度解っても、話すのは無理だね」と言ってたから、夫婦の会話も殆どトルコ語なのかと思っていたのに、よく喋る奥さんは、亭主とトルコ語で話し始めても、興に乗ってくると、母語じゃないトルコ語で表現するのが面倒になるのか、直ぐクルド語に変わっていました。

しかし、これを聴きながら育った子供たちが、クルド語を話せるとは限らないようです。親がクルド語で話すように仕向けなければ身につかないのでしょうか? 母語と言っても、それは必ずしも母親の話す言葉ではないかもしれません。 

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