メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアンによる政教分離の勧め

9月15日付けのミリエト紙の記事によると、エルドアン首相は、エジプトを訪れた際、エジプトの人々に政教分離憲法を勧めながら、次のように発言したそうです。
「トルコにおける憲法政教分離は、国家が全ての宗教を平等に扱うことであると定義されている。政教分離は決して無神論ではない。私はレジェップ・ターイプ・エルドアンとしてムスリムではあるが政教分離ではない。しかし、政教分離国家の首相である。政教分離の体制で、人々は、敬虔な信者に成る、あるいは成らないという自由を有する」
先月、断食明けの夕食“イフタル”でコーランを読誦した友人によれば、政教分離が達成できていないイスラム社会では、往々にして断食等の実践が強要されるなど、本来の信仰が捻じ曲げられてしまうから、政教分離は真に敬虔な信仰を守るためにも必要なのだそうです。
イスタンブールのファティフ・チャルシャンバという街へ行くと、黒い布を頭からすっぽり被った女性やタリバンのような服を纏った男たちが多くて驚かされるけれど、友人は彼らについて、こう話していました。
「ああいう人たちが余り増えてしまったら問題だが、現状の程度なら問題ない。かえって宗教を過度にした場合の見本になっている。あの人たちがいなかったら、宗教が度を越えてしまった場合の恐ろしさがなかなか理解されないだろう」
ちょっとこれとは違うけれど、全ての人たちに敬虔な信仰が強要される社会では、本当に“敬虔な信仰”がなんであるかも理解されないような気がします。敬虔であることを誇りにしている人たちも、比較の対象がなくなって困ってしまうんじゃないでしょうか。
しかし、この友人も、エルドアン首相の“自分は政教分離ではない”という発言には、少し首を捻っていました。ただ、これが文字通りの“政教分離”なのか、“過度な政教分離主義者ではない”という程度の意味なのかは良く解らないと言います。確かに、「私は政教分離ではない」という表現では、なんだか意味が通らないかもしれません。

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