メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールのトラブゾン学生寮

フェースブック”に加入したのは、一年ぐらい前かと思っていたのに、記録を見たら、2008年12月となっていました。加入したものの、利用することもなく、暫くそのままになっていたようです。
それが一年ぐらい前から、“フェースブック”でメッセージを送って来る友人が増えたので、最近は頻繁にアクセスしていますが、どうも使い方が良く解りません。
メッセージを送って来る友人たちは、私が実名で登録していて、これがまた珍しい氏名だから、それを見て送ってくるようだけれど、同じように、こっちからトルコ人の友人を探そうとしても、トルコには同姓同名が多くて、なかなか特定できないままになっています。
先月も、ハイダルというトルコ人が“フェースブック”に、“友達リクエスト”というのを送ってきたので、誰だか解らないまま“承認”して、彼のプロフィールを見たら、どうやら、1992年に3ヵ月ほど暮らしたイスタンブール学生寮で、舎監長を務めていたハイダルさんのようです。
私は94年にも、この学生寮の近くに間借していたので、時々、寮を訪れてハイダルさんと会っていたし、98年にトルコへ戻って来てからも、何度か会ったけれど、翌年、クズルック村で働くようになって暫く会わずにいたら、そのうち彼も学生寮の舎監をやめてしまい、お互い連絡が取れなくなっていました。
先日、“フェースブック”で連絡を取り合い、ハイダルさんと市内で再会を果たしました。“フェースブック”も結構役に立ちます。
その日、昔話に花を咲かせながら考えてみると、あの学生寮を最後に訪れてから、もう10年になるかもしれません。それで、一昨日、スルタンアフメットへ出かけた折に、ちょっと足を延ばして、学生寮まで行って来ました。
大分様子も変わっているのではないかと思っていたけれど、驚いたことに、学生寮は殆ど当時の姿のままでした。大きく変わったのは、食堂に大画面の薄型テレビが置かれていたことぐらいでしょうか? 

それから、洗面所には、洗濯機も配備されたようです。しかし、食堂にいた学生に話を聞いたら、洗濯機が入ったのは、昨年のことだと言うので、これまた驚かされました。今どきの学生たちが良く文句を言わなかったと思います。
19年前、南東部のガジアンテップから来ていた学生は、下着さえ手で洗おうとせず、洗濯物が溜まる度に、梱包してガジアンテップの実家まで郵送していました。実家のお母さんが、洗濯して送り返してくれたのです。

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