メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ソビエト映画「私は20歳」

《2011年5月12日付けの記事を修正して再録》

「私は20歳」という1962年に制作されたソビエトの映画。私はこれを1990年、つまりトルコへ渡る前に、神保町の岩波ホールで観たように記憶していたが、調べて見ると、この作品が岩波ホールで上映されたのは、1995年のことだった。

その頃は、川崎にいたから、この映画を観るために、わざわざ神保町まで出かけたようである。何だか意外な気がした。

1990年には、東池袋のボロアパートから、毎月、歌舞伎座へ足を運んでいたくらいで、マメに方々出かけていたけれど、トルコから戻って来て、川崎にいた当時は、多摩川を越えて東京都内に入ることさえ珍しかったと思う。

多分、新聞の広告か何かを見て、非常に興味をそそられ、出かける気になったのだろう。考えて見ると、トルコへ行ってから、ソビエトへの興味が増していたかもしれない。

1991年の8月、イズミル学生寮で、朝、ラジオを聴いていたところ、ゴルバチョフがどうたらこうたらニュースが伝えていて、何か大きな異変があったのかと聴き取りに集中したものの、未だそんな難しい話が直ぐ解るほど、トルコ語は上達していなかった。

午後になって、また同じニュースを始めたので、今度は予め『ゴルバチョフがどうかしたのか?』と待ち構えながら聴いていたら、ソビエトでクーデターが起こってゴルバチョフは拘束されているらしい、というニュースの内容が、絡んでいた糸が解けるように解り始めた。

最後まで聴いてから、興奮して階段を駆け下り、食堂にいた舎監のメフメットさんに、「大変です! ソビエトでクーテーターが起こったらしいです!」と息を切らして伝えると、メフメットさんは落ち着いた様子で、「そのニュースは朝からやってますよ」とつまらなそうに答えてくれた。

これを契機に、トルコ語を聴く耳が少しほぐれたように感じられて、私にとっては忘れ難い思い出となっている。しかも、それはソビエト崩壊の序章を告げる歴史的なニュースだった。

しかし、ソビエトとは何という壮大な実験だったのだろう。もちろん、この実験は失敗に終ってしまい、再び試みられるはずもないけれど、何でも贅沢に消費しようとする人間の欲望が留まるところを知らない現在の世界を眺めたら、『ソビエトがあのまま続いていたら、どうなっていたのか?』なんて、ボンヤリ考えてしまう。

「私は20歳」では、1962年当時、モスクワの若者たちがジャズのダンス・パーティーに興じたりして、青春を謳歌している姿に、ちょっと驚かされた。この映画は、以下の“YouTube”から観ることができる。ロシア語のみで、字幕もないが、映像と音楽でも充分に楽しめるのではないだろうか。冒頭、制服の兵士が歩いているシーンに、インターナショナルが流れているのは、何だか奇妙な感じもする。


"Мне двадцать лет" - Киностудия им. М. Горького (1964)