昨日は、イスティックラル通り裏手の盛り場を過ぎた先にある“グルジア文化センター”で催された夕食会に参加してきました。
この文化センターの存在を教えてくれたのは、ロシア正教の教会で知り合ったグルジア人のイレーナさんだったので、ここに集まるのは、グルジア本国からやって来た人たちだろうと思いながら、昨日、文化センターを訪れてみると、果たして壁には“グルジア文化センター”というトルコ語表記の下に、グルジア語の表記も添えられていて、なかなかそれらしい雰囲気が漂っています。
会の主催者であるというトルコ人名前の男性に話を伺ってみたところ、今日の夕食会に参加する人たちの9割は、“グルジュ(グルジア人)”なんだそうです。主催者の男性は、両親がグルジアのバツーミで生まれているものの、自身はトルコ生まれのトルコ育ちであるため、グルジア語が余り上手くないと話していました。
イレーナさんのトルコ語はとても流暢だったけれど、グルジア本国の出身であれば、それほどトルコ語が話せない人もいるはずだと思い、それから次々に訪れて来る人たちの顔を見比べて、『この人はトルコ語が話せるだろうか?』なんて躊躇いながら、何人かに声を掛けてみたら、その殆どがエスニック的には“グルジア人”という“トルコ人”で、中にはグルジアとは何のゆかりもないと言う人もいました。
「私はグルジア系じゃありませんよ。私の祖先ですか? さあ、父方はブルガリア移民だし、いろいろ混じっているみたいですね。しかし、グルジア系は入っていないと思います」
それで、主催者の方にまた訊いてみたところ、その9割というのは“グルジア系のトルコ人”のことであり、グルジア本国から来ている人はいくらもいないと言いながら、そのグルジア人女性を紹介してくれました。
女性はもう60歳ぐらいでしょうか。トルコ語はイレーナさんほどではないにしても、なかなか流暢でした。
「イレーナさんを御存知ですか?」
「イレーナ? さあ、どのイレーナでしょう? グルジアばかりじゃなくて、ロシアやウクライナに行っても、“イレーナ”はたくさんいますよ」
「ロシア正教の教会で知り合ったんですが・・・」
「私もオーソドックスですが、イスタンブールではギリシャ人の教会へ通っているから、ロシア正教の教会には行きません」
どうやら、イレーナさんは、ここの常連というわけでもなかったようです。
夕食会では、“グルジアの料理”とワインなどが振る舞われましたが、ワインはトラキア地方の銘柄だったし、料理を用意したのは、アルトヴィン県出身のグルジア系女性だったから、それはアルトヴィン県の郷土料理と言っても良いでしょう。アルトヴィン県は、グルジアと国境を接しているから、グルジア料理と違いはないかもしれませんが・・・。
アルトヴィン県出身の女性は、かなり流暢にグルジア語が話せるようでしたが、その後、グルジア語の歌を披露した若い女性にも話を訊くと、彼女はグルジア系であるものの、西部のバルクケスィル県の出身で、グルジア語は全く解らないと言います。
「でも、君はさっきグルジア語で歌っていたじゃないですか?」と問い返したら、「歌詞を丸暗記しているだけですよ」と笑っていました。
「我々グルジア人は、トルコに同化されてしまった」という主張も聞かれたけれど、食事が済んだ頃になって、グルジア系の有名な作曲家であるという初老の男性が、サズというトルコの民族楽器を奏でながら、トルコ語で歌い始めると、皆がこれに唱和して、会場はそれまでになかった盛り上がりを見せ、その雰囲気は、やっぱり“トルコ人”のようでした。
*トルコ全土にグルジア系の人たちは300万人ほどいるそうです。アルトヴィン県のお隣であるリゼ県出身のエルドアン首相が、グルジアを訪れた際、サーカシビリ大統領との会談で、「私もグルジア人ですから・・・」と話して物議を醸したこともあります。