メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アンタキアの街

水曜日の夜、イスタンブールに戻ってきました。結局、アンタキアでは、4日の間アフメットさんの家でお世話になったけれど、この4日でハタイに満足するのは到底無理だったようです。見落とした所がたくさんあって、近いうちにまた訪れることになるかもしれません。

水曜日に、スリヤーニ(シリア正教会)の教会を探して歩きながら、道を行く50年配のおじさんに尋ねたところ、「ああ、それなら直ぐ近くです。御案内しましょう」と言うので付いて行ったら、“アポストリック教会”という標札が掲げられた真新しい建物に案内されました。門は閉まっていて、おじさんが無造作にインターフォンを何度か押したものの、応答はありません。

「うーん、誰もいないようです。この教会は、水曜の夕方にいつも集まっているから、夕方また来たらどうですか?」
「いや、今晩、イスタンブールに飛ぶんですよ」

「それは残念ですね」
「しかし、この教会は大分新しいように見えますが、いつ出来たんでしょうか?」

「いつでしたか、何でもドイツ人たちがお金を出して造らせたようですよ」
「ドイツの人たちとスリヤーニには、どういう関係があるんでしょう?」

「さあ、どういう関係でしょう。ヨーロッパ人はいろいろ考えますからね。所詮、宗教なんてものは金ですよ。キリストもイスラムも皆そうです。何か利益があるから投資したに違いありません。貴方たちの方からも、韓国人が来て、この先に教会を作りましたよ。御覧になりましたか? あれはいったい何の目的で作ったんでしょうねえ。韓国の物品でも売ろうとしているんですか? まあ、そんなところじゃないかと思います」

こう言って、おじさんはカラカラと笑っていました。彼はもともとアレヴィー派で、宗教は全く信じていないと言います。

しかし、この教会が本当にスリヤーニだったのか、その辺も確かではありません。“アポストリック”という言葉を、アルメニア正教の人たちは使っているけれど、スリヤーニでも同様なんでしょうか? 

おじさんの話によると、スリヤーニの人たちは、もともとアンタキアに居たわけではなく、1940年代以降、マルディン県の辺りから移住して来たそうです。

ハタイ県は、1939年になってトルコ共和国編入されていますが、その後、少なからず人口の移動があったのでしょう。クルド人の教員ビナリさんは、クルド人がハタイ県のイスケンデル市辺りに住み始めたのも1940年代以降であり、急速に増えたのは、1980年代、南東部地域が内戦状態になってからだと言います。「ハタイはもともとアラブの土地で、我々クルド人も後からここへ移ってきました」。

アンタキア市には、ビナリさんのように業務で赴任してきた人を除けば、クルド人は余り住んでいないと聞いています。ただ、教員クラブのような所で会った人の中には、クルド人がたくさんいました。やはり地域的に近いマルディン県やディヤルバクル県から赴任して来る教員が多いのでしょう。

アンタキアも表面的な街の印象としては、特に変わったところがありません。中心街のアタテュルク通りには、何処にでもあるようなファッションの店が並んでいて、道行く人々も結構垢抜けた様子です。まあ、今はトルコのどの地方都市に行っても似たようなものかもしれませんが・・・。

アタテュルク通りから、ネスィ河を渡って向こう側の旧アンタキアと言われる地区へ行くと、少しはそれらしい情緒も感じられます。イスティックラルという名の通りもあって、これがまたイスタンブールのイスティックラル通りとは似ても似つかない雑然とした雰囲気で、何となく20年前のイズミルの街外れを思い出してしまいました。

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