メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

歴史認識

日本では、一部の識者たちが、「戦時中の日本軍による残虐行為は、学校で未だ良く教えられていない」と主張しているようです。

ところが、こういった態度を自虐的であると批判している人たちは、逆に、「学校で日本軍の侵略行為を教えすぎている」と主張しているから、いったいどうなっているのか良く解りません。

私は自分が高校を卒業してから、中学や高校の教科書に何が書かれているのか読んでみたことはないので、判断の下しようもないけれど、少なくとも、自分の学校時代を振り返ってみれば、当時の教科書は割りと客観的で偏向は余りなかったように思います。

しかし、自虐史観を非難している人たちは、「主観的に自国の歴史を考えて何が悪い」と言うかもしれません。実際、私が知る限り、韓国やトルコの歴史認識はかなり主観的であり、教科書の記述も同様じゃないでしょうか。

ところで、割りと客観的な教科書で学んだ私は、日本の歴史を客観的に見ているのかと言えば、多分、そんなことはありません。おそらく結構主観的に観ているはずです。それでも、悪びれることなく、『人間は自然にそうなるのではないか』と思っていたけれど、所謂“自虐史観”の論争を見ていると、ちょっと違うかもしれないと感じました。

私の周りにいるトルコや韓国の人たちは、多くの場合、歴史について相当主観的に考えて自分たちの主張を押し通そうとするため、こちらが客観的に構えていたら、どんどん押し込まれてしまいます。トルコや韓国に限らず、大陸の人たちは、多くの場合、主観的に主張しているのではないでしょうか。

91年、イズミルトルコ語学校では、同じ教室にオランダ人の若い女性がいたけれど、授業中にインドネシアが話題になったら、彼女は「オ・ダ・ビズィムキ!(それも私たちのもの!)」とのたまわったので、随分驚かされました。同様に、韓国人やトルコ人と歴史や文化について話し合っても、驚きの連続です。

88年、ソウルの韓国語学校では、韓国人の先生が、“文化”に纏わる話題が出る度に、「文化の無い日本から来られた方には解り難いかもしれませんが・・」と仰るので、ついに苛立ちを抑えきれなくなった私が、「先生、およそ人間が生きて暮らしている所には必ず“文化”があると思うのですが・・・」と発言したら、先生は全く動じる様子もなく、「それではアフリカにも文化があると言うのですか?」とお答えになったから、何だか教室全体が凍り付いてしまいました。その教室にアフリカから来ている学生はいませんでしたが・・・。

おそらく、先生が使った“文化”という言葉は、カルチャーを意味していたのではなく、儒教的な観念に基づく“文化”そのものだったのでしょう。

私は韓国の友人たちと歴史について議論になった場合、「36年間の統治や在日に対する差別は、日本人として大変申しわけなく思う。いろいろな過ちも犯していた。しかし、私は日本人として貴方たちと同じように考えることはできない。貴方たちに祖国愛というものがあれば、私にもある。その辺を解って欲しい」ぐらいのことは、少なくとも主張して来たし、多くの友人がこれに納得してくれたと思います。

納得せずに、あることないこと一方的に主張されたら、こちらもムキになって反論しました。言われるままにしていたら、どんどん押し込まれて、たちまち“文禄慶長の役”まで話が拡大してしまいます。何処かで止めなければ、いつの時代まで遡るのか解ったものではありません。挙句の果てには、白村江まで行ってしまうでしょう。

大陸の人たちは、皆、そうやって主観的な主張をぶつけ合いながら、戦って来たのだと思います。宗教もそうでしょう。トルコで教養のあるムスリムならば、敬虔な信仰を持っていても、コーランに出て来る“天国の描写”などを余り好ましいものだとは思っていないようです。しかし、だからといって、「我々の聖典には、好ましくない部分もある」なんて言おうものなら、たちまちキリスト教徒らにやり込められてしまうから、決してそんなことは認めません。

日本人もこれからグローバル化とやらが進む世界で生きて行こうと思ったら、このぐらい感覚は持たなければならないような気がします。違うでしょうか?

*************************

例えば、ドイツは戦前の残虐行為を深く反省しているけれど、日本は反省が足りないなんて、良く言われていますが、私にはこれがどうにも納得できません。

ドイツは、ナチスだけに罪を負わせてしまったような気がするし、何より、やったことのスケールが違うのではないでしょうか? いくらなんでも、ああいったジェノサイドは、極東で起こっていないように思います。

日本は、内鮮一体や大東亜共栄圏で失敗したから、戦後はやたらと内向きになってしまいました。ある右派の政治家は、戦後になってこんなことを言ったそうです。「今まで、朝鮮人とか訳の解らない連中と一緒にやって来ましたが、これからは我々日本人だけです。力を合わせて頑張りましょう」。

朝鮮の人たちにしてみれば、「一緒にやらせて下さい」なんて一言も頼んでないから、こんな妄言を吐かれては堪りません。一緒になろうとしたのは、もちろん日本だから、これは、「戦前、我々のやったことは全て間違いでした」と自ら過ちを認めているようなものです。

実際に、それ以後も外国人を受け入れたりすることに対して、とても慎重になってしまいました。これはやっぱり、かなり反省していたということかもしれません。

私がドイツに関して凄いと思うのは、戦前、ユダヤ人やロマ民族といった異分子をまとめて排除しようとして大騒ぎになったのに、戦後の未だ50年代に、早々とトルコ人という異分子を招き入れたところです。過去の反省に基づいた不安といったものは、なかったのでしょうか?

まあ、トルコ人の移民が社会の禍となって困ったことになれば、ドイツの人たちは、我々のように引っ込み思案になって不安を募らせる前に、また勇気を持って積極的に解決を模索するのだろうけれど・・・・、

日本も、自分たちの主張や反省を、国際社会にどうやって“アピール”するのか良く考えなければならないかもしれません。

 

merhaba-ajansi.hatenablog.com