メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのクルド語事情(2)

94年、アナトリアの南東部を旅行したのだが、当時はクルド人ゲリラPKKの活動も盛んで、南東部の大半が非常事態宣言下に置かれていた。

その後、99年にPKKのオジャランが逮捕され、状況は良くなったというものの、イラクとの国境を有するハッカリ県の場合、02年の7月になってやっと非常事態宣言が解除されている。
私はハッカリまで足をのばしていないが、あの辺りでは一触即発の緊張した状態が続き、住民の殆どがクルド人であるにも拘わらず、街中でクルド語を大っぴらに話すのは憚られたそうである。
私が旅したディヤルバクル(非常事態宣言の解除はこちらの方が遅く、02年11月。)などでは、街中でクルド語らしき会話を耳にする機会もあった。しかし、住民の大半がクルド人である事実を考えると、かなりクルド語の使用を控えていたような気がする。
ディヤルバクル市内の野外カフェテリアで行なわれていた結婚式の様子を見ていると、マイクを片手に司会を務める男が、時々トルコ語とは思えない意味不明の言葉を叫ぶ。

近くにいたカフェテリアの従業員に、「あれは何を言っているのですか?」と訊くと、「クルド語で『お婿さんは誰だ』と叫んでいるんですよ」と言う。
「ここに集まっている人達は、皆その意味が分かっているんですか?」
「もちろん、皆クルド人ですから分かっていますよ」
「それじゃあ、全部クルド語で話しても通じるわけですね?」
「まあ、そうかも知れないけど、それはちょっとやばいですよ」
イスタンブールなどでは、いくらクルド人同士の結婚式であっても来客の全てがクルド人というのはまず考えられないだろう。

ディヤルバクルでも、皆が皆クルド人クルド語を全て分かっているという話には少し誇張があったかも知れない。それでも、住民がクルド語を大っぴらに話せないような雰囲気を感じていたのは確かなようである。
ディヤルバクルからミディヤットに向かう途中にあるハサンケイフという景勝地を訪れた時は、バスの運転手に、「危険はないけれど、一応、憲兵隊の許可は取っておいた方が良い」と言われ、憲兵隊本部の前で降ろされた。

門番の兵隊に理由を説明すると、中の部屋へ私を通し、司令官が来るまで少し待ってくれと言う。
待っている間に3~4人の若い兵士が寄って来て色々訊かれたのだが、アダナの出身という兵士は、「この辺旅行しているんだから、クルド語も少しは憶えたでしょ?」と妙なことを訊く。
「いや、全然ですね。チュワニバシィぐらいかな、知っているのは」
「良く知ってるじゃない。実を言うと僕もクルド人なんだけどね。少しクルド語を教えてあげようか?」
『まずいことになりそうだ』と思って、適当にはぐらかしていると、そこへ中年の司令官が入って来て、兵士らは全員起立して敬礼。司令官は、私を見ながら、「この人は何処から来たのか」と兵士に問い質す。

すると、あのアダナ出身が敬礼をまたくりかえして、
「ハッ、この男は日本人でありますが、トルコ語を話すことが出来ます。それにクルド語も知っているようです」
「ほおー、クルド語も分かるのか」
「ハイ、そうであります。司令官殿」
私は慌てて、「いえそんなことはありません。知っているのは簡単な挨拶の言葉だけです」と自己申告した。

司令官は私の方へ向き直って、まず、「トルコ語はどうやって勉強したのか」と訊き、それから、「そのクルド語の挨拶っていうのは、何て言うのかな?」と探りを入れてくる。
私は、『ここで司令官やっていれば、当然そのぐらいは知ってるだろうに』と思いながらも、例の「チュワニバシィ」を何回か繰り返した。
「ほおー、それがクルド語ですか、チュワニバシィですね? いやー勉強になりましたねぇ。私はここで日本の方からクルド語を教えてもらえるとは思いませんでしたよ」とあくまでも知らなかったことにしようとする。

あとはごく和やかな雑談が続き、「危険はありませんから、どうぞハサンケイフを楽しんで行って下さい」と言われたので、礼を述べて立ちあがると、司令官氏、尚もしつこく、
「えーと何でしたっけクルド語の挨拶、あっ、チュワニバシィでしたね。それでは、チュワニバシィごきげんよう」なんていう見え透いた演技を続けていた。
さて、ハサンケイフだが、河の流れる美しい景観に古い遺跡がとけ込んでいて、何とも言えない趣きがある。今はもう非常事態宣言下ってことはないが、近くでダム工事が進められていて、今度は水面下になってしまう恐れがあるそうだ。
遺跡の近くには小さな集落があって、そこの12歳ぐらいの男の子が頼みもしないのに案内役を買って出る。

要するに少し小遣いをくれってことなんだろうと思い、途中で適当な額を渡して、「もういいよ」と言ったのに、一応最後まで付き合ってくれた。

この子の話によると、村の住民は皆、母語としてクルド語ではなくアラビア語を話すという。あの司令官もアラビア語の方を知っていたのかもしれない。
マルディンやウルファの辺りでも、アラビア語を話す人達は多く、中にはトルコ語クルド語・アラビア語を全て器用に使い分ける人もいる。

民族的にクルドなのかアラブなのかが分からなくなっているような場合もあるらしい。

ウルファの街を親切に案内してくれた青年(もちろん小遣い稼ぎなどではない)に、「あなたはクルド人なんですか?」と尋ねたところ、「私は、トルコ語クルド語・アラビア語を全て同じレベルで話すことのできるムスリムです」という答えが返って来た。