メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのクルド語事情(1)

イスタンブールに住んでいた頃、街角にある食堂や商店で、顔馴染みの店員が他の客に向かって、突然トルコ語ではない言葉を使って話し始めるのを何度も見たことがある。

その度に遠慮なく何語なのか訊いてみたのだが、その多くがクルド語であり、いつも、『あまり知られていない珍しい言語ではないだろうか?』と期待しながら訊くので、『なんだまたクルド語か』とがっかりするほどだった。

トルコの政府は、クルド語に対して弾圧を繰り返して来たと言われている。しかし、私がトルコへやって来た91年には、少なくとも、イスタンブールイズミルのような都会では、クルド語が既に堂々と話されていた。

それでも、92年、故オザル大統領がクルド語による放送やその教育について言及すると、各方面から猛烈な反対の声があがり、大統領は孤立してしまった。

とはいえ、私が居た学生寮の若い友人たちの大半は、「クルド人クルド語を話すのは当然じゃないか」という認識であり、一度、数人の学生がこの件で議論になった時も、クルド語の放送に反対していたのは一人だけだった。

反対する学生は、「君たちはクルド人に関して何も知らないからそんなことが言えるけど、クルド人の要求なんか認めてはいけない」などと言うのである。

「じゃあ、君はクルド人について良く知っているのか」と訊かれると、彼は、思わず私が小首を傾げたくなるようなことを言い返した。「僕のところは親戚の半分がクルド人なんだ」。彼は、クルドやアラブの住民が多いハタイ県の出身だったのである。

93年にオザル大統領が突然の心臓麻痺で亡くなると、その後はクルド語に関わる議論にも余り進展が見られなくなってしまう。

その頃から、クルド語による民謡などが、カセットやCDで売られるようにはなったものの、クルド人の大物歌手が堂々とクルド語で歌えるような雰囲気にはなかなかならなかった。

例えば、トルコの国民的歌手ともいえるイブラヒム・タットゥルセス、通称イボ。(クルド人であり、アラベスクという演歌のようなジャンルの大御所。手広く事業を展開しているところは千昌男氏を思わせる)

彼は80年代、スウェーデンで公演した際、クルド語の歌を披露し、帰国後直ちに逮捕されたそうだ。

92年だかにも、オザル大統領の娘の結婚式に招待されてクルド語で歌い、この時は大勢の招待客が退場するという騒ぎになっている。

また、98年には、アフメット・カヤという人気歌手が、芸能関係の賞を受け、その受賞式で抱負を訊かれた際、「クルド語で歌うことです」と答えると、式場には罵声が飛び交い大混乱に。アフメット・カヤはそれから間もなくしてパリへ移りそこで客死した。

トルコには、クルド人だけでなく、アブハズ人やら何やらどのくらいあるのか見当もつかないくらい様々な民族が存在している為、それぞれの民族語に関する要求を認めていたのでは収拾がつかなくなると一部の人達は恐れていたようだ。(彼らの中にもトルコ語母語としていない人達がいたかも知れない)

しかし、イスタンブールの街角でクルド語による会話がためらわれるという状況には至らなかった。

2001年の夏、イスタンブールにある中華風ファーストフードの店で、レジの青年にオーダーを伝えると、「すみません。ちょっと時間が掛かります。お待ち下さい」と言ってから、間を持たせようとでもするように、「日本の方ですか? トルコ語お上手ですね」などと色々話し掛けて来る。

東洋人が来店するのは多いと見えて、一応、「アリガトウ、カムサハムニダ、シェシェ」と3ヶ国語で対応できるようになっていた。

故郷を尋ねると、ディヤルバクルと答えたので、これは私もクルド語でお返ししてあげなきゃいけないと思い、彼の方へ顔を寄せて、「チュワニバシィ」と囁いた。

すると、彼は嬉しさのあまり顔をくしゃくしゃにさせながら「ワーオ」と歓声を上げた。

それから大きな声で、「バシィ、ナンタラホンタラ」とひとしきりクルド語で喋ってから、私の横で順番を待つ他の客達に向かって、「皆さん、これは素晴らしい。この日本の方は、トルコ語が話せて、クルド語も知っています」などと大袈裟なことを言い出す。

お客の中には、つられて少し笑顔を見せる人もいたが、皆黙ったままでシラーっとした雰囲気である。

特に私の隣にいた背の高い中年の紳士は、「なんだこいつ、怪しげな奴だな」とでも言うような冷たい表情で私を見下ろしている。

青年はこの雰囲気に気がついていないのか、それとも気がついているからこそ、ここぞとばかりに主張しようということなのか、「いやー、日本の方がクルド語を知っている。本当に素晴らしい」と何度も仰々しく繰り返すのである。

私は、「また余計な話をして墓穴を掘ってしまった」と穴があったら入りたいような気分だった。

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