メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

デンゲスィズ(バランス無し)

トルコ語に“デンゲスィズ”という言葉がある。“デンゲ”はバランスで、“スィズ”が付けば、バランスが無いことになる。
「知性のデンゲ(バランス)を失った」なんて言い方もあって、即ち、気が変になってしまうことだが、“デンゲスィズ”だけでも“気が変になった人”を意味したりする。
また、もう少し軽い意味で、周囲との調和が取れない人を“デンゲスィズ”という場合もある。これは、トルコの人たちが社会の中で如何に“調和・バランス”を大切しているのか示しているような気がする。
私はこの“調和・バランス”を重んじる発想がイスラムに由来するのではないかと思っていた。例えば、オザル大統領の実弟コルクト・オザル氏は、ラディカル紙のインタビュー記事(2003年9月)で次のように答えている。
「私の父は、なかなか良いメドレセ(オスマン帝国時代の学校:イスラム学院)で勉強したんですが、イスラムの考え方を私達に教えるため、こんなことを言いましたね。『息子よ、お前が行ったところの住民が全員盲人だったら、お前も片目をつぶっておけ。彼らと少しでも和を保たないといけないからな。それから、聞かない方が良いってこともあるんだよ』」
これを読んで、日本にはありそうだけれど、西欧キリスト教社会には無さそうな発想じゃないかと思った。
しかし、同じイスラム圏でもイランなどを見ると、何だかとてもラディカルな傾向が感じられ、あまり“調和・バランス”を重視しているようには思えない。イスタンブールに住んでいるイラン人の友人に訊いたら、ペルシャ語で“デンゲスィズ”に相当する言い方は無いそうだ。(気が変になるという意味で・・・)
トルコ系のウズベグ語に、“デンゲスィズ”という言葉はあるのだろうか? 4年ほど前、市内のウズベク料理屋で出会った初老のウズベク人男性は、トルコの標準を考えれば、かなり信心深い方に見えたが、タリバンの迫害を受けてアフガニスタンから亡命して来たそうだ。彼は「タリバンイスラムではない」と断じ、「トルコ人の宗教は決してラディカルなものにならない」と語っていた。
ひょっとすると、“調和・バランス”の重視は、トルコ語に由来するトルコ的な発想なのかもしれない。
しかし、トルコでも教養のあるインテリの中には、イランのラディカルな所が好きな人も少なくないようだ。イスラム主義のインテリばかりか、最近は、AKP政権を憎悪する旧来の左派アタテュルク主義者にも、イランを称賛する人がいる。
彼らはイランの徹底した反米姿勢を支持していることもあるが、芸術やイデオロギーの華々しさにも魅力を感じているらしい。調和やバランスに安堵する私らは、俗物だと思われているのだろうか? 
ミュムタゼル・テュルコネ氏の「誕生から死に至るまでのイスラム主義」に、こういったトルコの人々の傾向について、「なるほど」と唸りたくなる記述があったので、以下に拙訳で引用する。
「・・・リベラル派の自由でラディカルな主張を、人々は聞いているし、注目している。政権と国家に対する批判として関心を寄せている。しかし、誰もリベラル派の行動に大衆的な支持を与えようとはしない。アフメット・アルタンやメフメット・アルタン、ジェンギス・チャンダルの批判を興味深く聞いているが、このインテリの中から一人が立ち上がって『私に続け!』と言った時はどうなるか? イスラム主義の状況もこれと全く同じである。・・・」