メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコとイランの相違/イランと韓国は似ている?

イランのライシ大統領がヘリコプターの事故により死亡した事件は、トルコでも大きな話題となっている。

いくつかYouTubeの動画からトルコの報道を視聴してみたが、その中でAKPの議員であるメフメット・シャーヒン氏は次のように語っていた。

「おそらくイランの体制は、何が起こったのか解っている。しかし、今後も私たちがそれを知ることはないだろう。体制が事件について何か発表したとしても、それは体制を守るためのものだ。・・・」

どうやら、事件の真相は多くの謎と共に闇の中へ葬り去られるのではないかと言うのである。

シャーヒン氏も、イランの体制が、女性や若年層の反発で困難な状況に陥っていると述べていたけれど、同様に、「イラン・イスラム体制の限界」を指摘する声は、左派・右派を問わずに出ているようだ。

最高指導者の地位を子息に継がせようとしているハメネイ師とライシ大統領との間に見られた確執も取り沙汰されているが、果たして、今後どのような展開が待ち受けているのだろう?

一方、私は今回の事件で浮き彫りにされた「トルコとイランの相違」に驚いている。何より、ハメネイ師が世襲を企図しているという説に驚いた。トルコでは考えられないことじゃないかと思う。

もちろん、それ以前に、「ホメイニ師ハメネイ師」という宗教指導者の存在も考えられないだろう。

90年代、「トルコにもイランのようなイスラム革命が起きる」と騒がれていた頃、トルコの新聞のコラム記事で、「トルコにはオスマン帝国の時代から、イランに見られるようなウラマーイスラム神学者)の階層が存在していなかった」として、これを強く否定した論説を読んだ。

こういった歴史的な経緯については良く解らないものの、確かに、イランとトルコの間には、相当な開きがあったように思われる。

イランについては、日本語でも検索してみたが、宗教指導者の立場を明らかにさせるための激しい宗教的な理論闘争もあるという。トルコでは、形而上の問題の論争がそれほど熱気を帯びることもなかったのではないだろうか?

これには、イデオロギー闘争の激しかった韓国と日本の相違を思い起こしてしまったりする。

2003年、イスタンブールでイランの人たちが集まるプロテスタントの教会を見学したことがあるけれど、ペルシャ語のミサで熱狂的な反応を見せる様子に驚かされた。この教会では、トルコ語によるミサも営まれていたが、トルコの人たちは静かに祈りを捧げるだけだった。

韓国でも、教会のミサが熱狂的な盛り上がりを見せたりする。イランと韓国にはちょっと似ている所があるのかもしれない。これに比べると、トルコ人と日本人は何だか控えめであるような気がする。