メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ギュレン教団の排除

フェトフッラー・ギュレン教団のメンバーを国家機構内から排除するプロセスも、いよいよ大詰めを迎えたようだが、ある識者はこれを「90年代の体制が、イスラム主義勢力を排除しようとした動きと変わらないじゃないか」と批判していた。

当時、排除の対象にされたイスラム主義者の中には、もちろんエルドアン大統領を始めとするAKPの中心人物らも含まれていただろう。確かに何だか皮肉な感じもする。

そして、現在、排除されようとしているギュレン教団に極めて近いと思われている政治家は、そのAKPの中心人物の中にもいるという。例えば、ビュレント・アルンチ氏、ヒュセイン・チェリック氏の両元副首相などの名が取り沙汰されている。

噂程度に過ぎないけれど、アブドゥラー・ギュル前大統領の名が出て来ることもある。

今日、ラディカル紙のコラムで、オラル・チャルシュラル氏は、フェトフッラー・ギュレン教団に関連するこれまでの経緯をざっと振り返っていた。

ギュレン教団とAKP政権の対立は、まず、2012年の2月、教団のメンバーと思われる検事が、MIT(国家情報局)のハーカン・フィダン長官に検察へ出頭するよう連絡してきた“7日の夕刻”から始まったとされている。検事は、フィダン長官がオスロでPKKと秘密裡に交渉を進めていたことを立件しようとしたらしい。

チャルシュラル氏の記事によれば、フィダン長官は検察から連絡を受けると、直ぐにエルドアン首相(当時)に電話したものの、繋がらなかったため、ギュル大統領に電話したところ、大統領は「大したことはないから、出頭して聴取を受けて下さい」と答えたそうだ。

その後、エルドアン首相と電話が繋がり、首相はフィダン長官に「絶対、出頭してはならない」と命じて、事態は異なる展開を迎える。・・・

いずれにせよ、エルドアン首相がAKPの中で真っ先に教団との対決姿勢を示したのは、確かじゃないだろうか。今から思えば、教団関係の友人たちの間で、エルドアン氏の評判はもとより芳しくなかったような気がする。

“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”で、エルバカン師の薫陶を受けたエルドアン氏が、当初、フェトフッラー・ギュレン教団を懐疑的に見ていたのは想像に難くない。いったい誰が彼らの間を取り持ったのだろう? これは、いずれ明らかになるかもしれない。

しかし、フェトフッラー・ギュレン教団の企てが成功していたら、トルコはどうなっていたのか。ギュレン師はアメリカから、イラン・イスラム革命の“ホメイニ師”のように劇的にトルコへ帰還するはずだったという。

まあ、そうならずに良かったと思う。結局、トルコの体制に劇的な変化は起こらなかった。

 

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