メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イランとトルコのスカーフの問題

イランで、スカーフを正しく被っていなかったとして道徳警察に逮捕された女性が死亡した事件に端を発した抗議活動は、激しい弾圧にも拘わらず勢いを増しているという。

イラン政府が「スカーフを外す自由」を認めて収拾を図ってくれたら良いが、果たしてどうなることだろう? イラン政府は、抗議活動を米国やイスラエルが扇動していると非難しているらしい。

1991年、イズミルトルコ語を学んでいた私は、同じ教室にいたイラン人の女性に、イランへ帰国する時はどうするのか訊いたことがある。彼女はスカーフなど被っていなかったからだ。それで、スカーフの強要に対する不満も口にするのではないかと予想して訊いたのだけれど、あっけらかんと笑いながら「テヘランの空港で降りる前にスカーフを被るから問題ない」と答えていた。

彼女がホメイニの体制をどう思っていたのか解らないが、パーレビと米国を嫌悪していたのは明らかだった。そのため、スカーフの問題を外国人からとやかく言われたくなかったのかもしれない。

しかし、現在、抗議活動に加わっている若い世代のイラン人にとって、パーレビの時代など遠い過去の話だろう。イラン・イスラム革命から既に43年が過ぎている。

一方、トルコでは、1991年当時、イランとは逆に「スカーフを被る自由」が制限されていた。国会を始めとする公的な機関での着用は認められていなかった。大学でも着用が禁じられていたため、スカーフの上にかつらを被って入学試験の会場に入ろうとした女学生が話題になったりしていた。

その後、2002年にAKP政権が発足すると、この「スカーフを被る自由」も直ぐに認められるのではないかと期待されたが、全面的な解禁まではなかなか進まなかった。官公庁で解禁になったのは、2012年頃ではなかったかと記憶している。

例えば、2013年の2月には未だ街角で「スカーフに関する規制を撤廃させよう」という署名運動が繰り広げられていたのである。

私が立ち止まって彼らの話を聞こうとしたところ、署名運動の仮設テントに招き入れられて、お茶まで御馳走になってしまったが、訪れていた支援者は「しかし、最近は単なる流行みたいにスカーフを被る女性が増えて来たのも困った問題だ。これでは宗教の中身が抜かれて空になってしまう」と懸念を表明していた。

その頃、世俗派の識者が、保守派による「アタテュルクのプラグマティックな一面を強調して、社会の各層で共有しようという試み」は、アタテュルクの中身を抜いて空にしてしまうものだと批判している場面を私はYouTubeで視聴したばかりだった。

世俗派とイスラム派の双方が自分たちのイデオロギーや宗教の中身を抜かれて空にされてしまうと心配していたのは非常に興味深く思えた。

この経緯は以下の「イマーム・ハティップレル(イスラム教導師養成学校)」という駄文で明らかにしているが、ここに私は「結局、双方とも空にされて、そこを多様化した現実が埋めて行くのではないか」と書いた。

自画自賛するのも何だけれど、トルコの今はそんな状況になっているのではないかと思う。イランも同じような状況に至って、無駄な争いで血が流されなくなることを祈りたい。

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