イスラムにも美術的な作品は多い。モスクには美しい装飾が施されていたりする。
しかし、コーランが小説や映画の題材として適しているようにも思えない。そういった作品があったしても、それほど読んでみたいとは思わない。あまり面白くなさそうである。
聖書を題材にした小説で、真っ先に思い浮かぶのは、ドストエフスキーの「罪と罰」であるかもしれない。
私はあの小説を、罪人に成り果てたラスコーリニコフが娼婦ソーニャの清らかな美しさに気づいて彼女を恋するようになる物語ではないかと思った。
罪人になったラスコーリニコフは神の救いを求めながら、初めてソーニャの美しさを知る。そこには原罪の問題も示唆されているのだろう。誰もが自分の罪深さを知れば、もっと美しいものに気がつくのかもしれない。
子供の頃に読んで感動した「何処へ行く(クオ・ヴァディス)」も完訳でもう一度読み直してみたいと思う。
以下の「王子と乞食」という駄文にも記したが、マーク・トウェーンの「王子と乞食」を翻訳した村岡花子氏は、乞食の姿に成り果てても気高さを失わない王子にイエス・キリストの姿を擬えている。
この小説はイエス・キリストの物語としても読めるというのである。