メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラムは「之を知らしむべからず」なのだろうか?

エデンの東」の最後の場面を観ながら、やはり聖書は読んでおくべきじゃないかと思ったが、これだけ長い間、ムスリムの人たちと交流を持ち、イスラムとは何なのか考えさせられてきたのだから、もちろんコーランも全編を読んでみなければならないだろう。

しかし、何度か試みてみたものの、いつも途中で挫折してしまった。こんなことを言ったらなんだけれど、聖書のような物語性が感じられない、とても退屈な話なのである。

そもそも、コーランの編成は、時系列など考慮せずに各章を長いものから順番に並べてあるだけらしい。つまり、どの章から読み始めても良いし、各章を続けて読む必要もない。

なんだか、多くの人たちに読んでもらいたいと思って編集されたわけじゃないような気がする。読んでもらわなくても、社会的な規律が達成されれば良かったのだろうか?

論語の言う「之に由らしむべし、之を知らしむべからず」ということなのかもしれない。

部分的に読んだ限りでは、訓戒のような話が多く、「老人の説教」臭いものを感じてしまった。

例えば、聖書は様々な芸術作品の題材になっているけれど、コーランを題材にした小説や映画などの芸術作品はあるだろうか? それ以前に、イスラムとそういった芸術に親和性があるようには思えない。原理主義的なイスラムではその種の芸術を禁じていたりするらしい。

トルコには、イスラム的な音楽もあるし、イスラムを芸術のモチーフにしようとする動きもあるようだけれど、あまり成功しているようには思えない。人々の関心も低いような気がする。

イスラムは、社会的な道徳の礎であり、芸術のように人を感動させたりする必要があるとは思われていないのだろうか。

というより、キリスト教のように人を感動させてしまう宗教の方が、人間の歴史の中で特異な例なのかもしれない。

イスラム美術のような芸術は存在するので「小説や映画などの芸術」と訂正しました。

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