90年代、南東部でクルド武装勢力PKKと戦っていたのは、コルジュと呼ばれる民兵だったと言われたりしている。コルジュも地域のクルド人らによって組織されていたので「あれはクルド人とクルド人の戦いだった」と言う人もいる。
その中で、クルド語を話し地域に密着していたのは、どちらかと言えばコルジュの方であるかもしれないそうだ。PKKには、クルド語を話せない幹部もいるという。
しかし、コルジュの中には、シリアやイラクとの密貿易に携わっていた者も少なからずいたとされ、メディアでの評判は余り芳しくなかった。上記の2005年3月のラディカル紙のコラム記事でも良い書かれ方をしていない。
PKKのシンパと見做され、コルジュと対立していた左派クルド人の集まる所は「文化メフメット」などと呼ばれていたらしい。コルジュの方は「文化的でない」ということなのか?
私は94年の夏に南東部を旅行して、コルジュ部隊の尋問を受けたこともあったが、隊長の態度は極めて紳士的で、不愉快どころか親しみを感じたほどである。コルジュの組織は未だ継続されているそうだが、今、彼らはどうしているだろう?
ラディカル紙のコラム記事には、共和国初期の「シェイフ・サイドの反乱」に加担して、トルコの西部地域へ強制移住させられたクルド人家族の物語も紹介されているが、彼らはオスマン帝国以来の有力な一族だったという。強制移住された先でも、コルジュの家族よりは良い生活をしていたような気もする。