メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「非常事態宣言下の旅」

《2014年10月14日掲載記事の再録》

クズルック村にいた頃(1999~2003)、近所に高圧電線敷設の技術を持った男がいて、時々、長期間泊り込みで地方へ出かけては、敷設作業に携わっているようだった。
いつだったか、その男が南東部ディヤルバクル周辺の山間部で作業してきたと言う。当時、南東部一帯には、未だ非常事態宣言が出されていた。
それで、「あの辺の山間部は、反政府クルド人ゲリラが出没して危険だろう。作業中は憲兵隊などが警護してくれるのか?」と訊いたら、彼は次のように答えていた。「何を言うんだ。憲兵隊なんて連れて行ったら、それこそ標的にされてしまう。普通に作業していれば、奴らは俺たちに手を出したりしないよ」
94年の夏、非常事態宣言下の南東部を旅行していて、半日、軍関係者と名乗る男に後をつけられたことがあった。その時は、『只でボディガード雇ったようなものだ』と思っていたけれど、実際は却って危険だったのかもしれない。
歴史を感じさせる美しい石造りの街並みで名高いミディヤットを訪れ、宿の2階の部屋で休んでいたところ、宿の主人が上がって来て、「下にコルジュが来ていて貴方に会いたいそうだ」と困った表情を浮かべながら言った。
コルジュというのは、反政府クルド人ゲリラに対し、政府側について戦っていたクルド人民兵のことである。『厄介がなければ良いが』と思いながら降りていくと、宿の入口の前に並べられた椅子の一つに、髭を蓄えて威厳がある迷彩服姿の中年男が腰を下ろしていて、その周りに、やはり迷彩服を着て、機関銃などの物々しい兵器を手にした5~6人の男たちが立っていた。
椅子に座っている男は隊長のようであり、穏やかな口調で普通に挨拶してから、私にも椅子を勧めた。それから、氏名や国籍に始まり、旅行の目的などを細かく尋ねられたけれど、ごく当たり前な質問ばかりだったし、態度も非常に紳士的で全く不愉快には感じなかった。
最後に、翌日はヌサイピンに行く予定であると告げたら、「良い旅を」と言って引き上げて行ったが、時間にして、ものの5分ぐらいだっただろう。

ミディヤットからヌサイピンへ行くバスは、午前と午後の2便しかなかったので、翌日、午前の便に乗ったところ、バスが町外れまで来た時に、道路脇に立っていた30歳ぐらいの男がバスを止めて乗り込んで来た。
バスには空席が目立っていたのに、男はどういうわけか真っ直ぐ私のところまで来て隣に座った。後から考えれば妙な感じがするものの、その時は格別変に思うこともなく、いろいろ話しかけて来る男に愛想良く応じた。

男は最初、バットマン出身のクルド人で歯医者をやっていると自己紹介していた。ヌサイピンでバスを降りてからも、友人気取りでずっと後をついて来る為、『トルコではこういう俄か友達も珍しくないが、これは少し怪しいかもしれない』と油断せずに付き合っていたら、今度は「この後の予定がないなら、一緒にジズレへ行きましょう」と言い出した。
ジズレは、ヌサイピンよりさらにイラクの国境に近く、反政府ゲリラの襲撃事件などがニュースになっていたから、「危険じゃないのか?」と訊いたが、男は「大丈夫。チグリス河の畔には美味しい魚料理屋があるそうですよ」と勧めるし、バス会社の人も問題はないと言うので、そのまま一緒にジズレ行きのバスへ乗り込んだ。
ジズレまで1~2時間掛かったのではないかと思う。周りに他の乗客がいないバスの中で、男は「貴方に嘘をついた」と奇妙な告白を語り始めた。
バットマン出身というのは嘘で、実はアイドゥン県の出身なんですよ」
「アイドゥンってエーゲ海地方の? それならクルド人というのも嘘ですか?」
「まあ、そういうことですね。クルド語は勉強したからある程度解るけれど」
「何故、そういう嘘をついたの?」
「貴方についてはもう調べることもなさそうだから言うけれど、僕は軍の諜報機関で働いているんです」
「すると君は職業軍人なんですね?」
「兵役で任務についているだけですよ。僕は体が丈夫に出来ていないから、余り過酷な任務には堪えられないし、クルド語が解るからこういう仕事が割り当てられました」
こんな話の何処までが本当なのか確かめようもないし、そもそも諜報機関で働いている人が自分でそれを打ち明けるとは考え難いから、『こいつはいよいよ怪しい』と気を引き締めた。
ジズレに着いて、直ぐに安全そうなホテルを見つけて部屋を取ろうとしたら、フロントの係は、「部屋はあるんですが、冷房がないから暑くて寝られやしませんよ」と言い、ずっと側を離れない“諜報機関の男”も、「この辺じゃ、そこらの屋根に上がって寝るそうですよ」なんて笑っている。
しかし、あの状況で、そんな恐ろしい選択が有り得るだろうか。とにかく部屋を取ってもらい、それから“諜報機関の男”を引き連れて町の中を歩いてみた。
町は殆どの商店がシャッターを下ろしたままでゴーストタウン化しており、もちろん魚料理屋なんていうのも営業していなかった。
チグリス河の畔に出ると、ちょっと先に古い城壁のような建造物が見えたので、写真を撮ろうとしたら、男が「あれは軍の施設なんで撮影しないで下さい」と邪魔しながら、「だから言ったでしょう。僕は軍の関係者なんですよ」などといっぱしの口を利く。
そこで私にも良い知恵が閃いた。「君が本当に軍の関係者なら、あの施設の中でお茶を御馳走してくれませんか?」と迫ってみたのである。男は困った顔して暫く考え込んでいたが、「良いでしょう」と答え、城壁の方に向かって歩き出した。
城壁の門前に着くと、男は私を少し離れた所に待たせ、番兵に何事か囁いてから私の側に来た。暫くしたら、門の中から将校らしい軍人が姿を現し、私たちの方に向かって、普通に聞こえる声量で、「君の仕事は解るけれど、ここに外人を連れて来るのは拙いなあ」と言ったのである。
男は慌てて、「この人、トルコ語解っているよ」と苦笑いしながら将校に近づき、二言三言、こそこそ話し合ってから私を呼び、門の中へ招き入れると、本当に将校クラブみたいな所でお茶を御馳走してくれた。それまで半信半疑だったが、どうやら“諜報機関”は嘘じゃなかったらしい。
軍の施設を出て、チグリス河の畔に戻ったら、諜報機関の男、今度は「暑いから河で泳ぎましょう」なんて妙な誘いをかけてくる。既に男の疑いは晴れていたものの、『俺を裸にして何を調べる気だ?』と薄気味悪かったから、にべもなく断ると、男は一人でパンツ一丁になって河へ入って行った。しかし、“余り過酷な任務には堪えられない”と言う割には、なかなか鍛えられた体つきだった。
男が河から上がり、一緒にホテルへ引き上げる途中、何処かでビールを飲もうという話になり、男はそこらにいた12~13歳ぐらいの子供を呼び止めて、「この辺にビールが飲める所はあるか?」と訊いた。
その子は、「おじさんたち何処のホテルに泊まっているの? ああそれなら、そのホテルの前がビアガーデンになっていますよ」と答えてから、「でも、サイレンが鳴ったら、直ぐにホテルへ逃げ込んで下さい」と言い添えた。
私は、ゲリラが町の中まで侵入して来るのかと思って、そう訊いてみたが、その子の心配は全く別のところにあった。「ゲリラなんて一つも恐くないけれど、サイレンが鳴っても外にいたら、憲兵隊に撃ち殺されちゃいますよ」と言うのである。(反政府ゲリラに対しては、「ミリタンラル“戦闘者?”」という言葉を使っていたと思う)
子供が去ってから、私は男の方を振り返って、「貴方たちは随分酷いことしているねえ」と嫌味を言ってやった。そうしたら、男が照れ臭そうにしているものだから、調子に乗って、「諜報なんて特に恥ずかしいことだと思いませんか?」と突っ込んでみたが、男は「その通りですね」と殊勝に答えていた。
今から考えて見れば、この諜報員はなかなか出来た人物だったのだろう。身分を明かしたのも、それをきっかけに何か話を引き出そうとした為かもしれない。
その夕方、ホテルの前でビールを飲んでいる時に、「明日はマルディンへ行くことにしましたよ」と話したところ、「それは良い考えですね。私も今日で貴方をつけるのは止めますから、明日は私を探さずにそのままマルディンへ行って下さい」と応じていたけれど、翌朝、ホテルの食堂で朝食を食べていたら、「お早う」とちゃっかり向こうから声を掛けてきたうえ、バスターミナルでマルディン行きのバスに乗るまで、しっかり見届けてくれた。
さて、それからマルディンに着き、有名な郵便局前のカフェテリアで、その雄大な景色を眺めていると、後ろから「マコト、マコト」と呼ぶ声がする。『こんな所に知り合いはいないはずだが?』と訝りながら振り返って、その髭を蓄えた中年男の笑顔に一瞬戸惑ったものの、直ぐに誰だか思い出した。ミディヤットの宿に訪ねて来た民兵の隊長が、こざっぱりとした私服姿で微笑んでいたのである。
これも任務の範囲内だったのか、休みの日に偶然そこへ来ていただけなのか、その辺は何とも解らない。でも、私がヌサイピンへ行くことを諜報員に伝えたのはこの隊長さんだったに違いない。
民兵については、余り良い評判も聞かないけれど、あの隊長さんはなかなか好感の持てる人物だった。諜報員も決して嫌な感じじゃなかった。運良く、そういう人たちばかりと巡り会えただけかもしれないが・・・。