メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

非常事態宣言下のビトゥリス

1987年~2002年にかけて、南東部のディヤルバクル県等は、非常事態宣言地域となっていた。当時は、PKKとの間で激しい武力衝突が繰り返されていたのだから、止むを得ない処置だったかもしれない。
ウイキペディアのトルコ語版を見ると、正規ではなく、準“非常事態”的な扱いの県もあり、例えば、ビトゥリス県が、正規の非常事態宣言地域だったのは、94年~96年の2年間だけのようである。
私がビトゥリスを訪れたのは、94年の6月と記憶しているけれど、その時、既に非常事態宣言地域となっていたのかどうかは良く解らない。
非常事態宣言地域をバスで旅していると、頻繁に憲兵隊(ジャンダルマ)の検問があり、その度に乗客は全てバスから降ろされたりしたが、ビトゥリスを訪れた時も、市街地に入る前の山の中で、そういう検問があった。
荷物を置いたままバスから降ろされ、身分証明書(私の場合はパスポート)を提示し、バスの車体に両手をついて身辺検査を受ける。順番が私のところまで来て、外国人であることが解ると、隊員は無線で何処かと連絡を取り始めた。聞くと、「外国人がいますが、これを市街地に入れても良いでしょうか?」なんて、とんでもない話をしている。
検査が全て終わり、他の乗客たちはバスへ戻ったのに、なかなか私には許可が出ない。そのうち、バスがエンジンをかけ、ゆっくり動き始めたので、焦って隊員の方を振り向いたら、合図と共に「乗れ!」と命じてくれた。それで、少し走って、開けっ放しになっていた後部ドアからバスに飛び乗った。
ビトゥリスには、一泊か二泊しただけだから、詳しい状況は解らなかったが、少なくとも私がいる間に、これといった事件は起きていないと思う。私が墓所で犬に襲われて流血したのが唯一の事件だったかもしれない。
街の雰囲気は限りなく長閑で、人々は優しく、名物のブリヤン・ケバブがとても美味しかった。検問で、あんな厳しくチェックする必要があるのかと思った。
しかし、あの頃、ビトゥリスでも山間部に入れば、散発的な衝突があったそうだし、2日後に訪れたミディヤットでは、街の住人から、「これ昨晩のですよ」と多数の銃痕を見せられたりした。
あれから、20年が過ぎ、昨年、“和平プロセス”が軌道に乗って以来、南東部もやっと平和な日々が続くようになっていた。
今年の6月に、ディヤルバクル県のリジェで小規模の衝突があったけれど、あれは毎年のように繰り返されている“アヘンの収穫期”に関連した事件だったと言われている。“世界のヘロイン王”などと呼ばれていたバイバシン一家は、このリジェの出身である。
ところが、最近になって、シリアでISISがクルド人地域に攻勢を強めたため、南東部各地で、これに激しく抗議するクルド人のグループと治安部隊が衝突し、一昨日から昨日にかけて19名が死亡するという痛ましい事態に発展しまった。一部では、夜間外出禁止令も出ていると言う。
今日(10月9日)は、HDPのデミルタシュ党首も現地に赴いて、事態の沈静化に努めているそうだし、なにより、多くの民衆が強く平和を望んでいるに違いない。非常事態宣言の復活などという恐ろしい事態には至らないと思う。そう祈りたい。

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