メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アルメニア正教の教会

イスタンブールのベイオウル街、チチェック・パサージュから入る横丁は“バルック・パザル(魚市場)”と呼ばれ、魚屋さんや八百屋さんの店も出ているけれど、店頭でムール貝などを揚げたりしている酒場が軒を並べ、夕刻が迫ると未だ明るい内から辺りは喧騒に包まれます。
この並びに、普段は閉ざされている幅2mほどの鉄扉の付いた門が、商店と商店に挟まれてひっそりと佇み、周囲とは異なる雰囲気を漂わせているものの、行き交う人々がこれに気を取られることは余りないかもしれません。
この鉄扉の向こうには、アルメニア正教会の教会があります。礼拝等がある時は、扉が開け放たれていて、私は偶然にその前を通りかかり、この教会へ足を踏み入れました。1992年頃のことです。
横丁に面した建物の門をくぐり、この建物の下を7~8mほど通り抜けると、そこは中庭のような空間になっていて、その向こう側に、1838年の創建と言われる荘厳な教会が姿を現します。

初めてその内部へ入った時は、高い天井とその広さに驚かされました。それまで周りにある酒場などへ出入りしながら、その目と鼻の先に、これほどまでに大きな教会が潜んでいたとは夢にも思わなかったからです。

そして、横丁での賑わいや喧騒を思い浮かべると、その静寂な佇まいが俄かには信じられませんでした。
1994年の初夏、ある日の昼過ぎ、この教会を訪れると、中庭で一人の老人が、手のひらにすっぽりと収まってしまいそうな短い変わった笛を吹いていました。そのドゥドゥクと呼ばれる笛を吹いていた老人は、イラン国籍のアルメニア人で、イスタンブールへ知人を訪ねて来たそうです。
中庭では、私の他に3人ほどイスタンブールアルメニア人が、老人の吹く笛の音に耳を傾けていたけれど、その内の一人はイスタンブールで音楽関係の仕事をしているらしく、老人の演奏が如何に芸術性の高いものであるかを説明していました。

私は正直言って、芸術性云々については良く解らなかったものの、荘厳な教会を前にして悲しげな笛の音色を聴いていると、なんとなく感動的な気分になったものです。
この時、音楽関係の仕事をしているという中年の紳士は、演奏を終えた老人に、イスタンブール市内のアルメニア人協会でリサイタルを開くよう提案し、私たちをそのリサイタルに招待しました。
当日、その頃イスタンブールに滞在していた日本人の友人たち数人と一緒に、アルメニア人協会を訪れたところ、地下に設けられた会場には60~70名のアルメニア人が集まっていて、いよいよ笛を手に老人が舞台に登場すると、発起人である中年の紳士は、会場の人々に先ずアルメニア語で何事か説明し、それからトルコ語で「今日はトルコ語を解する日本の友人も招待したので、特別にトルコ語でも挨拶することにします」と語り始め、老人の経歴やリサイタルを開くことになった経緯などを解り易く話してくれました。
その後も、曲が演奏される前には、アルメニア語と共に必ずトルコ語でも曲の由来などを説明してくれたのですが、いくつかの曲はオスマン帝国時代の悲しい歴史に纏わるもので、一部の聴衆が笛のメロディに合わせて唱和することもあり、“アダナの悲劇”という曲が演奏された時には、聴衆の中からすすり泣きの声が洩れたりして、一種異様な雰囲気に包まれたものでした。

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