メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ風の姓名を名乗らざるを得なかったアルメニア人の俳優たち

今日(7月2日)のハベルテュルク紙に、ムフスィン・クズルカヤ氏が非常に興味深い記事を書いている。

オスマン帝国の時代、イスラム教徒の女性たちが映画で活動するのは「はしたない」と思われていたため、演じる女優たちは皆、非イスラム教徒であったという。

ところが、共和国の時代になって「トルコ化」が進められると、今度は男女共に俳優たちが非イスラム教徒の姓名を名乗ることに不都合が感じられるようになってしまう。

そのため、多くのアルメニア人俳優たちも、トルコ風に姓名を変えるようになった。

1979年に亡くなったアイハン・ウシュク(Ayhan Işık)もその一人で、本来の姓名はアイハン・ウシュヤン(Ayhan Işıyan)だったそうだ。

このアイハン・ウシュク氏が亡くなった際、アルメニア人の姓名のまま活動していた俳優のヌバル・テルズィヤン氏(Nubar Terziyan)が追悼の中で「我が息子」と呼びかけたところ、自分たちもアルメニア人と思われるのではないかと恐れたウシュク氏の家族は「ヌバル・テルズィヤンとアイハン・ウシュクの間には何の関係も見られない」と訂正する文を発表したという。

しかし、ウシュク氏の未亡人であるギュルシェン・ウシュク氏(Gülşen Işık)は、2015年になってから、自身もロシアから渡ってきた正教徒であると告白したらしい。

これは実に痛ましいことだが、私たちの日本では、今でも在日の人たちが通名を名乗らざるを得ない状況が続いている。

例えば、以下の駄文でお伝えした「自分の姓名の韓国語の発音も解らなかった青年」には有名な女優の従妹がいたそうである。

私が「それじゃあ、彼女も在日だよね」と訊いたら、青年は驚いたように「あっ! そういうことになりますなあ」と言って笑った。

以下に、ハベルテュルク紙のクズルカヤ氏の記事の一部を拙訳してみるが、これは何だかそのまま日本の状況にも当てはまっているようで考えさせられてしまう。

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もしも、ある社会の人々が、姓名や母語といった自身のアイデンティティから恐れを感じて、それを隠さなければならなくなったとしたら、そこには重層的なファシズムが存在しているということだ。

自惚れて、地球上で最も栄誉と由緒、そして能力のある偉大な民族として唯一自分たちを考え、他者を見下して彼らを脅かし、同化を押し付け、彼らが姓名を変えなければならない恐怖を創り上げながら、自分たちを存在させようとする社会を歴史は嫌悪する。歴史は彼らの叙事詩を美と見做さない、汚点として残すのである。

しかし、この状態に至らしめたのは、その社会の民衆ではない。何故なら、ファシズムは下から上に広がる禍いではないからだ。民衆がこれをもたらすことはない。ファシズムは上から下に広がるエリートの思想である。

大きな敗北を喫した社会の統治者らは、支配を継続するため、その敗北に見合う勝利を必要とする。勝利とは常に戦いによって得られるものではないのだ。

時には、その理想に辿り着こうとして、なんとも大きな虚構を捏造するため、暫くすると、捏造した虚構を自分たちも信じるようになり、虚構の一部に成り果ててしまうのである。

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