ハベルテュルク紙のコラムでムフスィン・クズルカヤ氏は以下のように書いていた。
「大きな敗北を喫した社会の統治者らは、支配を継続するため、その敗北に見合う勝利を必要とする。勝利とは常に戦いによって得られるものではないのだ。
時には、その理想に辿り着こうとして、なんとも大きな虚構を捏造するため、暫くすると、捏造した虚構を自分たちも信じるようになり、虚構の一部に成り果ててしまうのである。」
日本も太平洋戦争の大きな敗北から立ち直るために、様々な「虚構の勝利」を作り出していたのではないか。
例えば、「力道山の空手チョップ」などがその一つであるように思える。
戦争で叩きのめされたばかりか、進駐して来た米兵はいずれも屈強で、喧嘩になっても敵わない。
力道山はその米国人のレスラーを空手チョップでなぎ倒す。あれほど痛快なことはなかったのだろう。
しかし、朝鮮人だった力道山は決してその出自を語ろうとしなかったそうだ。見事な演出で人々の「敗戦の屈辱」を晴らして見せたものの、人々が屈辱を晴らすための矛先は自分たちにも向けられることを解っていたからだと思う。
私は韓国のジャーナリスト趙甲済氏が記した「ネ・ムドメ・チムルペトラ(俺の墓に唾を吐け)」という朴正煕氏の評伝から戦前の部分を読んで、「韓国人等に対する差別は戦後になって激しくなった」と考えてみたけれど、確かに「敗戦の屈辱」を彼らを差別し見下すことによって晴らそうとしたため、戦後になってそれは一層激しさを増していたかもしれない。
戦前の日本人はまだ余裕があったのではないだろうか。
その後、日本は経済成長を成し遂げ、「虚構の勝利」に頼らずとも済むようになったかに見えたが、今度は中国が台頭し、韓国が手強いライバルとなって浮上すると、また新たな敗北感に打ちひしがれてしまっているかのようである。
果たして、次は如何なる「虚構の勝利」を演出しようというのだろう。