メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン首相の哀悼の意の表明

ザマン紙にコラムを書いているエティエン・マフチュプヤン氏は、毎年のように、この時期になると、“1915年のアルメニア強制移住”の問題を取り上げている。

そして、昨年は、一連の記事の中で、トルコの人々は既に歴史と向き合う準備が出来ている、後は政治的な決断が必要だと強調していた。先日のエルドアン首相による“哀悼の意”の表明で、いよいよその政治的な決断の兆しが見えて来たようである。

マフチュプヤン氏は、今日のザマン紙のコラムで、エルドアン首相の表明を歴史的な一歩と高く評価していた。また、この表明は、エルドアン首相を支持する保守的な民衆にも受け入れられるだろうとして、以下のように述べている。

「新しい保守層は、一方で世界と一つになり、権利と自由を獲得しながら、同時に歴史的な記憶も蘇らせようとしている。その記憶は、多文化、多民族の統合体を、覆い隠されんとしていた社会的良心の隙間から再び呼び戻そうとしているのである」

マフチュプヤン氏によれば、エルドアン首相とAKP政権は、氷山の一角に過ぎず、その下で、これを多くの民衆が支えている。

「この表明は、民衆の中にある感情、模索、将来の見通しを記録に留めたものだ」というのである。

マフチュプヤン氏の社会分析には定評がある。いつも冷静に客観的に、トルコの社会の変化を見極め、分析してきた。カトリックアルメニア人であるマフチュプヤン氏は、トルコ民族、イスラムの問題に対し、より客観的な視点を持つことが出来るかもしれない。

しかし、アルメニアの問題についてはどうだろう? もちろん、私は今回の分析も的を射ていると信じたい。

ところが、今朝、このマフチュプヤン氏のコラム記事をツイートして置いたら、エルドアン首相を支持する保守的な友人が、否定的なコメントを書き込んでいたのでがっかりした。「首相は間違えた。彼らは死ななければならなかった。そして死んだ」という激しい文面だった。

友人は教養もあり、節度を弁えた常識的な人物だが、以前からトルコ民族主義的な傾向はあった。でも、あんな激しい言葉を使うなんて想像も出来なかった。

イエニドアンの街の熱狂的なエルドアン支持者たちからは、それほど反発もないようだが、それは彼らが「首相は間違えた」なんてことを考えもしないからだろうか? 

そうではなく、彼らに教養はないけれど、もっと現実的に世の中を見ているからだと思いたい。多くの人たちが、一銭にもならない憎しみ合いより、平和な取引を望んでいる、そう願いたい。

AKP政権は、首相の表明に社会的な支持が得られれば、さらにアルメニアとの国交正常化へと乗り出すのではないだろうか。イランとの関係も急速に良くなってきているし、この辺りの国際情勢は、そのうち大きく変化するかもしれない。

しかし、これは“中東共同体”などといったものにはならないような気がする。イランにしても、欧米から離れてしまったトルコと組んでも意味がないだろう。トルコは欧州に軸足を置きながら、中東・コーカサスにも手を広げて行くのではないかと思う。

 

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