メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

歴史認識 : トルコ・中国・日本のトラウマ

5月10日の“通信”で、「1915年:トルコは何が出来るか?(2)」という1915年の所謂“アルメニア人虐殺”に関する記事を訳してみようと思ったのは、日本でも“歴史認識”が話題になっていたからだ。
筆者のマフチュプヤン氏は、毎年のように、この時期になると“1915年”について書いているが、7年前の“アルメニア強制移住の問題”という記事では、以下のように述べている。 
「我々はまるで自らの手で自分の鼻に鼻輪をつけ、鼻輪に結ばれた紐を西欧人の手に委ねてしまった“鼻輪の虜”であるかのようだ。

紐が強く引っ張られると、自尊心を傷つけられて反抗し、紐が緩められれば、自尊心を宥められて喜ぶ。しかし、鼻輪は同じところに付いたままだ。我々は鼻輪をぶら下げながら周囲に微笑みかけて、また一年を過ごすことになるのだろう。 
トルコがこの状態から抜け出す時はとっくに来ている。しかし、よその人がこの鼻輪を外してくれるわけではない。我々は自らの行動により、鼻輪を外す機会を得なければならないと知るべきである。

一方、これが、自らを欺きながら、あるいは勇気を発揮しながら得られるものではないことも明らかだ。トルコは自分に対して正直になり、他国の態度を狭い政治の枠に囚われずに評価する必要がある。」 
「既に、歴史的な事象についても誠意を見せなければならない時が来ている。例えば、イズミルを焼いたのがギリシャ人ではないこと、火災は彼らが去った4日後に始まり、どういうわけかギリシャ人とアルメニア人の街区だけが焼けたことを明言しなければならない。

何故なら、これは全世界が知っていることであり、周知の事実を否定しながら、他者の正しい振る舞いを期待したのでは全く説得力が得られないからである。 
さもなければ、それは自らの手で自分の鼻に鼻輪をつけ、紐を誰もが引っ張れるようそこらへ放り出すことになってしまう。」 

もちろん、これはトルコにおける問題であり、日本の“歴史認識問題”と同列には語れないが、軽率な発言は、“自らの手で自分の鼻に鼻輪をつける”ことになってしまうのではないか。 
「1915年:トルコは何が出来るか?(2)」では、ボス二ヤヘルツェゴビナアチェ、ホジャリをジェノサイドであると主張すれば、1915年もジェノサイドになってしまうと説かれていた。トルコの知識人の中には、“南京大虐殺”もジェノサイドに含める人がいる。 
しかし、日本にも、“アルメニア人虐殺”を西欧と同じ立場で論じて、トルコを非難している識者が少なくないから、とやかく言えないだろう。 
マフチュプヤン氏は、一連の記事の中で、トルコの人々は既に歴史と向き合う準備が出来ている、後は政治的な決断が必要だと強調していた。 
トルコは、かつて大帝国として覇を唱えていたのに、20世紀になって、西欧やロシア、さらに、かつて支配していた国々からも、よってたかって痛めつけられたため、これがトラウマとなって、暫くの間は、過去の歴史と向き合うどころではなかったのだと思う。

「トルコは四方を敵に囲まれている」とか「トルコの友人はトルコ以外にない」といった言葉もよく聞かれた。 
このトラウマが、今、ようやく抜けつつあるのではないだろうか。 
こうして歴史をふり返ってみると、中国もトルコとよく似ているような気がする。やはり大帝国として君臨していたのに、西欧やロシアばかりか、かつてはずっと下に見ていた日本からもやられて、トラウマが残ってしまった。そのため、国際社会を信用せず、民主化等についても、外部の助言をなかなか受け入れようとしない。
私は中国が、トルコをモデルにして民主化を図れないものかと思う。もっとも、今のトルコは、四川省ぐらいの規模の国だから、ちょっと比較するのは難しいかもしれないが・・・。 
最後に申し上げるならば、日本も、太平洋戦争でアメリカにこてんぱんに叩きのめされため、戦中戦後世代の人たちには、それがトラウマとなっているような気がする。 1960年生まれの私は、良い時代に育ったと感謝したい。