メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

フラント・ディンクはここで殺された

一昨日、“ディヴァン・パスターネスィ”を後にして、シシリーへ向かう途中、オスマンベイの辺りで、歩道の一角に、アルメニア文字が並んでいるのを見つけた。
『何だろう?』と思って良く見たら、そこには、以下のようなトルコ語の一節も併記されていた。「フラント・ディンクは、ここで殺された。2007年1月19日15時5分」
2007年の1月19日、アルメニア人のジャーナリスト“フラント・ディンク氏”は、白昼ここで暗殺されたのだった。

 歩道のプレートは、おそらく事件後間もなく設置されたのだろう。良く通る所なのに、私は一昨日までこれに気がついていなかった。
この暗殺は、17歳の狂信的なトルコ民族主義者の仕業とされたが、未だに謎の部分が多い。
2010年頃、あるアメリカ国籍のプロテスタント宣教師は、これを、トルコ軍内部の民族派組織による犯行と決め付けていた。
この宣教師と何処でどういう風に知り合ったのかは敢えて言うまい。

彼によれば、この事件に限らず、2006年から2007年にかけて相次いだ、キリスト教の神父や宣教師が標的となった暗殺事件は、全てこの軍部内の民族派組織によるものであり、組織はグローバル化を進めていたAKP政権の転覆を狙っていたという。
「考えてみなさい。AKPが2007年7月の総選挙に勝って政権の基盤を固めてから、こういう事件は全く起こっていない。以来、宣教活動に対する抑圧も殆どなくなった」
「それじゃ貴方も2007年までは相当な危険に晒されていたんですね」
「いや、彼らもさすがにアメリカ人を殺す度胸はなかった。被害者の中にアメリカ人がいましたか?」
彼は、2012年に会った時も、AKP政権とエルドアン首相を「キリスト教の活動に理解を示してくれる」と言って絶賛していた。
ところが、2013年の6月に、ゲズィ公園騒動が勃発したら、突然、ソーシャル・ネットワークを通して、毎日数回に亘り、「エルドアンは独裁者!」などといった誹謗中傷を繰り返し始めたのである。
私はこの変化に、トルコと米国の関係が見えるような気がして、『なんと解り易い人たちなのか・・・』と呆れてしまった。
米国と密接な関係にあると言われているフェトフッラー・ギュレン師の教団は、2012年2月、MIT(国家情報局)のフィダン長官が検察から調査された事件への関与が指摘されている。取調べに当たった検察官は、教団の関係者と見られているからだ。

フィダン長官は、“クルド和平のプロセス”を準備するため、エルドアン首相の命を受けて、クルド武装勢力PKKと秘密裏に接触していたが、検察はこれを不法行為として立件しようとした。“クルド和平のプロセス”へのあからさまな妨害だった。
そして、2013年3月のネヴルーズ祭に、PKKのオジャラン党首による平和宣言が発表されて、いよいよ“クルド和平のプロセス”が軌道に乗り始め、トルコにやっと平和が訪れたと思われた矢先、あのゲズィ公園騒動は勃発した。
その後、AKPと教団の関係は悪化の一途を辿り、年末の不正疑惑事件による全面対決に至った。フェトフッラー・ギュレン師は、この間も、エルドアン首相を「PKKと交渉した」と言って非難していた。
この為、教団が“クルド和平のプロセス”を妨害しようとしているのは明らかだと思われている。クルド政党BDPのデミルタシュ党首は、選挙戦中、この教団から支援を受けていたCHPの“C”は、ジュムフリエト(共和)ではなく、ジェマート(教団)の頭文字であるとして、CHP(共和人民党)を“教団人民党”と呼びながら非難していた。
余り陰謀説のようなものは信じたくないが、前述の宣教師の一件もあり、私は昨年6月以来の騒動に、なんともキナ臭いものを感じてしまう。
もちろん、一般的な宣教活動やアメリカ人宣教師の全てを非難するつもりは全くない。宗教的な熱意から、宣教活動に勤しんでいる人たちが殆どだと思う。しかし、中には、非常に政治的な意図を持っている組織もあるのではないだろうか。
トルコ共和国が成立して間もない頃、アタテュルクは「裏切り者の巣窟」と言って、アメリカン・カレッジの閉鎖を命じたそうである。アメリカによる宣教活動との確執は、なかなか根深い問題なのかもしれない。
けれども、現在のトルコに、共和国成立当初のような存亡の危機は何処にもない。また2007年以前の状況に戻ってしまう可能性もないだろう。AKP政権は、これからも純粋なキリスト教の活動には理解を示し続けると思う。 

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