メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ軍のクーデター

トルコの国営放送“TRT”に、「祖国を望む」という番組があった。各分野の著名な識者をスタジオに招いて、祖国トルコへの思いを語ってもらう趣向になっていた。

私は、2年ほど前、イズミルのホテルの一室で、初めてこの番組を観た。夜、出先でかなり飲んでからホテルに戻る途中、また缶ビールを一本買い込み、部屋に入ると、テレビをつけて直ぐにビールを飲み始めた。

テレビの画面では、鋭い視線の紳士が何か語っている。トルコ海軍の退役中将アッティラ・クヤット氏だった。少し耳を傾けたら、飾り気のない率直な語り口に思わず引き込まれた。

トルコ軍によるクーデターは、国家の発展に寄与しなかったと、軍人としての反省を込めて力説し、最後に、“多様性のある民主的な、そして経済的に繁栄した祖国トルコ”を望みながら、少なくとも、国民同士が敵対し合わない祖国を、生きている間に見たいという熱い気持ちを吐露して発言を終えた。祖国を思う赤心が伝わって来るような言葉の数々だった。

私は多少酔っていた所為もあって、非常に興奮し、薄暗いホテルの部屋の中で、思わず立ち上がって、阿呆みたいに拍手してしまった。

クヤット氏は、クーデターが何の役にも立たなかった、トルコ軍にも害を与えてしまったと語りながら、まだ士官学校の生徒だった1960年のクーデターで、メンデレス首相が処刑された際には、何の痛痒も感じなかったと告白している。

また、当時の軍人たちに政治的な野心は無く、あくまでも国家を思って決起したのであると、軍を擁護しているが、この辺りに却ってクヤット氏の率直さを感じる。

さらに、「診察が誤っていれば、正しい治療はできない」としながら、クーデターの前に、多くの国民が、クーデターを熱望していた事実を指摘していた。何処の国でも、悪いことは全て軍の所為にして済ませてしまう傾向があるから、なかなか“正しい治療”はできないのかもしれない。

クヤット氏には、現実的で穏健な軍人というイメージがあるけれど、それは以下の話に如実に現れているように思った。

1960年のクーデターでは、ヘイベリ島の海軍士官学校の生徒だったクヤット氏にも、ヘイベリ島の公安秩序を正すという任務が与えられ、若いクヤット氏は勢い込んで、許可無く歩道に商品を並べ、値札もつけない島の商人たちを厳しく取締り、瞬く間に秩序を確立した。

ところが、2年後に少尉となっていたクヤット氏が、再び島を歩いてみると、島の秩序は旧態に戻っており、クヤット氏を見つけて話しかけた商人たちは、「少尉さん、あんたには酷い目に合ったよ」と笑っていたそうである。

これでクヤット氏は、「クーデターという恐怖で秩序を正したところで何の意味もない」と悟ったと言うけれど、これは誰もが悟り得ることじゃないと思う。2年後に、島の商人たちがクヤット氏を見て冗談を言ったところにも、氏の人柄が現れているような気がする。

2002年にAKPが政権を取ってから、トルコにクーデターが起こらなかったのは、トルコ軍にクヤット氏のような軍人が少なくなかったからだろう。02年~06年に参謀総長を務めたヒルミ・オズコック氏らが、クーデターに傾いた民族派の将校たちを、それこそ命懸けで抑え込んでいたという説もある。

このように、ほんの数年前まで、クーデターを企図する勢力があったと言われているくらいだから、トルコもそう簡単には、第一級の民主主義まで到達できないかもしれない。

でも、既に一定の民主化は成し得たのではないか。そして、これは、AKP政権ばかりでなく、軍人や官僚を始めとする多くのトルコ国民の努力によって達成されたのだと思う。