メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの西方回帰

2009年の1月、エルドアン首相がダボス会議で、イスラエルのペレス首相と激しくやり合い、席を蹴って退場した「ワン・ミニッツ事件」以来、「トルコは欧米から離れ、東方へ回帰しているのではないか?」という説が、トルコでも盛んに唱えられるようになった。

EUが、トルコを門前で足止めにして、冷たい態度を取り続けるなら、トルコにはロシアや中国という選択肢もあると、これを肯定的に評価するトルコ人の識者もいた。

そして、2013年2月、エルドアン首相は上海協力機構への加盟申請を仄めかし、欧米とトルコの関係は決定的に悪化した。

その後、6月に“ゲズィ公園騒動”が勃発すると、欧米では、エルドアン政権を非難する声が一層激しさを増したものの、エルドアン首相はこれに耳を貸さず、中国製対防空ミサイルの購入計画を進めて、さらにロシア・中国へ接近する姿勢を見せた。

特にロシアとの関係は、欧米がロシアへ科した経済制裁にも同調することなく、蜜月状態を維持した。

この空気に変化が見られたのは、11月1日の再選挙を前にして、ドイツのメルケル首相がトルコを訪れた辺りからかもしれない。選挙の結果、AKPが単独政権に復帰すると、徐々に、トルコと欧米は関係改善の気配を見せていたけれど、これが露機撃墜事件で一気に加速する。

3か月ぐらいの間に、敵と味方がいきなり入れ替わってしまったような急展開だった。日本では、「NATOが前もって撃墜を承認していたのではないか」という説も報道されていた。実際、その前に中国製対防空ミサイルの購入が否定されていたり、なんとなくある程度はシナリオが描かれていたのではないかと勘ぐりたくなってしまう展開である。

これにより、トルコでこの数年、めっきり冷え込んでいたEU加盟の熱望が、また蘇るかどうか解らないけれど、今も昔も多くの人々が、欧米に憧れているのは確かだろう。それはロシアでもなければ、もちろん中国でもない。

トルコでは、かなり信心深いムスリムであっても、少なからず欧米志向が感じられる。建前はともかく、イスラム教の国々に行きたいなんて人は殆どいないはずだ。

だから、この西方回帰は、トルコが当たり前な世界に戻るようなもので、驚くには値しないそうである。確かに、ロシアと中国の仲間入りしたって、どうにもならなかったに違いない。

ナゲハン・アルチュという才色兼備の女性ジャーナリストは、ロシアを山賊のような国と非難し、少なくとも遵法の精神がある欧米と異なり、法治国家とは言い難いロシアや中国では、国民も国家を信用していないから、富裕層は皆資産を海外へ移してしまっていると解説していた。

東洋人の私は、歴史的・文化的な中国への憧憬を感じているけれど、やはりあの“国家”は別問題だと思う。あれは時代錯誤の怪物であるような気がする。

そしてロシア、実を言えば、私はロシアにも憧れがある。懐かしいロシア民謡の旋律、美しいロシア語の響き、“戦争と平和”などに描かれていたロシア的世界。

でも、考えてみたら、映像として直ぐ頭に浮かぶイメージは、古き良きソビエトの光景ばかりである。プーチン大統領のロシアには、どうも殺伐としたイメージがつきまとう。

上半身裸で銃を手にしたプーチン大統領なんて、大昔の安っぽい西部劇みたいだ。よく比較されるエルドアン大統領も、あんな下らないパフォーマンスとは縁がない。

エルドアン氏は、体制の抑圧を受けていたイスラム主義運動の中から出て来た人で、KGBの時代から国家権力の中枢に居続けたプーチン氏とは全く経歴が異なる。

プーチン氏は、「ソビエトが懐かしくない者には心がない。ソビエトに戻りたい者には頭がない」と語ったそうだが、頭がなくてケチな生活に慣れ切っている私のような者なら、ソビエトでもそれほど不満を感じないまま暮らせたかもしれない。

ソビエトは、少なくともアメリカほど明け透けに下品じゃなかった。妙な理想を掲げて見せる心意気もあった。今のロシアには心がない。