メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

目白御殿

東京都内の運送屋で働いていた1981年の末、1~2週間ぐらい某百貨店に出向して、お歳暮の配達を請け負ったことがある。
このお歳暮は、非常に高価な“活け蟹”で、差出人はそれなりに余裕のある人たちだったに違いない。配達先も金持ちそうなお宅が多かった。
これに先立って、格安通販の配達をやらされた時は、「何々荘10号室」といった住所が多く、探し出すのに苦労したけれど、高級お歳暮の配達は、大概の目標が大きくて見つけやすかった。
その辺りで、一番立派そうなお屋敷の前に車を止めてから住所を確認すると、どんぴしゃりだったこともある。
有名人も少なくなかった。朝、当日配達分の伝票を整理しながら、宛先に「王貞治様」という文字を見出し、自分にとって歴史的な瞬間が訪れる期待に胸をときめかしたりした。
もちろん、その瞬間は訪れなかった。玄関先に姿を現したのは、お手伝いさん風の女性だった。
尾上松緑邸では、歌舞伎役者らしい若い人が出て来た。お弟子さんだろうか? 結構有名な若手だったのかもしれない。
まあ、お歳暮を受け取りに“有名人”が、玄関先まで出て来ることはまずなかった。例外としては、宛先に本名が記されていたため、どなたか分らぬままピンポンとやったら、女優の菅井きんさんがドアを開けて顔を出されたのでびっくりした。
「配達ですか、ご苦労さまですねえ」とテレビで拝見する菅井きんさんと全く変わらぬ様子にも驚かされた。
そして、いよいよ最後の配達日だったが、「田中角栄先生」という宛先を見て、これまた興奮した。

まさか御本人に会えるとは思わなかったけれど、あの目白御殿の門をくぐって玄関まで行けたら、それだけでも話のネタになっただろう。
もう覚えていないが、差出人の住所氏名もすかさずメモしておいた。宛先の方は、住所を記す必要さえなかったに違いない。当時、文京区に住んでいた私は、地図を見なくても行くことが出来た。
しかし、迷わず門の前まで着いて、ちょっと様子を覗っていたら、物語はあっけなく幕を下ろされてしまった。門脇の番所から警察官が足早に近づいて来て、「配達か? ここで受け取るから早く出して」と言うのである。
車を降り、素早く荷台から“活け蟹”のお歳暮を取り出して手渡すと、警察官は伝票に「田中」という三文判を押してくれた。まさしく門前払いで、“玄関”などその影を見ることも出来なかった。
今、あそこは目白台運動公園という広い公園になっているようだけれど、あれでも御殿の敷地の一部が再開発されたものらしい。御殿全域はどれほど広かったのだろう?
あの目白御殿と比べたら、クスクルのエルドアン邸なんてケチ臭くてお話にもならない。
エルドアン氏は、イスタンブール市長に当選する94年まで、カスムパシャのごく庶民的な家に住んでいたそうである。これはマルマライの工事現場で知り合ったムスタファという作業員の青年からも聞いたことがあった。彼はカスムパシャで、エルドアン氏の次男と同じ小学校に通っていたという。 
エルドアン氏の場合、長らく批判されていたのは、金権体質というより、その“宗教体質”だった。