メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アタテュルクとトルコ人気質

いつだったか、タハ・アクヨル氏がコラム記事の中で、次のようなアタテュルクのエピソードを紹介していた。
ある日、アタテュルクが閣僚らと「トルコ語表記のラテン文字化」を協議していたところ、そこへ、当時はラテン文字化に強硬に反対していたイスメット・イノニュが近づいて来た。するとアタテュルクは、「あっ、イスメットが来た。ちょっとこれは隠して置こう」と言って、ラテン文字化に関する書類を伏せてしまったそうだ。
アクヨル氏も、これを「アタテュルクの穏やかな人柄を示すエピソード」として紹介していたけれど、実際、心が和むような話である。
2003年10月のラディカル紙、ムラット・ベルゲ氏のコラムでは、側近がアタテュルクに、何故ドクトリンを作らなかったのかと尋ねたら、「そんなことをしたら凝り固まってしまう」と答えた話が伝えられている。
私には、このいずれもが、如何にもトルコ人らしい気質の顕れと感じられて興味深い。柔軟でバランス感覚に優れ、あまり極端なことを好まない。こういった“トルコ人気質”は、トルコで暮らしていて、様々なところで気付かされたように思う。
アタテュルクは、ガンジーのように極端な平和主義者でもなければ、その逆でもなかった。極端なところのない、バランスが取れた指導者であり、都度に常識的で当たり前な判断を下していた・・・・
政教分離の共和国革命も、タンズィマートの改革以来の流れを見れば、突拍子もない出来事じゃなかったようだ。しかし、世界中の注目を集めるのは、突拍子もない極端な革命の物語であるかもしれない。
だから、アタテュルクも、ガンジー毛沢東のようには、世界で持て囃されなかった。常識的で当たり前な人物は、あまり面白くないのである。これは大変結構なことじゃないだろうか。