メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

IS/イスラムフォビア

昨日に続いて、またネットから視聴した“政権寄りの番組”による話題だが、先週の木曜日に放送された“アーハベル(A Haber)”の番組で、イスラム学者のエクレム・デミルリ氏が、ISとイスラムフォビアについて、非常に興味深い見解を明らかにしていた。
デミルリ氏は、1969年の生まれで、現在、イスタンブール大学神学部の教授である。氏によれば、自分たちイスラム教徒が憎まれるのは、「我々が何かやったためではなく、何もしなかったから」だという。
現在の“我々(イスラム教徒)”の問題は、“我々”が価値を生み出していない所にある。例えば、ISは数年の内に終わるだろう、しかし問題が解決されるわけではない、イスラム教徒の非生産的という問題はなくならないと言うのである。
解決のためには、遺産を更新しなければならない。更新されない遺産は墓場になってしまう。そして、イスラムの遺産が更新されなくなったのは、16~7世紀に遡るとデミルリ氏は論じている。
「16~7世紀以降、ヨーロッパは変化を遂げ、世界が変わった。一部の人たちによれば、イスラムはその変化に合わせる必要がなかった。しかし、私は必要だったと思う。イスラムと言わなくても、ムスリムの社会はその変化に合わせていかなければならなかった・・・」
イスラムが価値を生み出し、人を育てることができない限り、ISが終わったとしても、また同じようなテロの問題に直面しなければならないというデミルリ氏の言葉は、氏がイスラム教徒の神学者であるだけに、非常に重たいのではないかと思う。
イスラムフォビアをなくすための、もっと身近な解り易い例も挙げていた。
フランスの裏通りで雑貨屋を営むアルジェリア人のムスリムが、フランス人を相手に、誠実に正しく商売をすれば、少なくとも彼の所でイスラムフォビアは終わる。人がそういった価値を見せれば、どんな人でも感化される。人間の本性に変わりはないのだから、ロシア人であってもアメリカ人であっても同じように感化される・・・。
これはもっと重たい言葉であるかもしれない。私も日本人として、この街で誠実に正しく暮らしていかなければならないとは思うけれど、それほど簡単なことじゃなさそうだ。