メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

1991年イズミル・・・

1991年に、イズミルトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。
先生は、私の少々ずれた話もお聞きになり、「貴方の観察は面白い。トルコについて何か本を書いてみなさい」と勧めて下さったうえ、私を勇気づけようとされたのか、次のように言い添えた。
「なあに、トルコについて多少間違ったこと書いても明らかにはならないから大丈夫です。それがアメリカや中国のことだと直ぐに解って叩かれますが・・・」
先生に最後にお目にかかったのは、イスタンブールのタクシムで、93年か94年のことじゃないかと思う。先生は奥様とご一緒に、今のスクエアホテルの辺りに立っておられ、イスティックラル通りの方から歩いて来た私に、大きく手を振っていらっしゃった。
足早に近づいて、頭を下げながら御挨拶しようと思ったら、先生がハイタッチするように手を上に掲げてから振り下ろして来たので、私もそれに合わせて勢いよく『パチーン!』と手を合わせた。先生は私の手を力強く握りしめ、「久しぶり!」とおっしゃった。
その頃は、メールも携帯もなかったし、私は頻繁に居場所を変えていたから、どなたとも連絡を取り合うのはとても難しい状況で、先生にも長い間ご無沙汰していた。タクシムでお目にかかったのも全くの偶然であり、その後、私は日本に帰って、またダンプの運転手などをしていたから、先生とはそれきりになってしまった。
歳月が過ぎ、クズルック村にいた2001年頃、ようやくパソコンを手に入れ、検索という機能を知った私は、ふと思いついて、先生のお名前を検索にかけて見た。そして、最初に現れた記事に息を飲んでしまう。それは先生の訃報だった。
あれから、さらに15年になろうとしている。先生が私に勧めて下さったのは、本の執筆だけじゃなくて、英語の学習もあった。「スポーツで右手を鍛えると、不思議なことに左手の力もついてくるそうです。貴方は韓国語とトルコ語を学習されたから、もう一方の力もついているでしょう。勇気をもって英語の学習に取り組んで下さい」
しかし、いずれも実現することはなかった。私の勇気は余りにも貧弱だった。
もちろん、このホームページに限っては、なんとか一冊の本にならないだろうかと思って取り組んでいた。なしのつぶてだったが、出版社に原稿を送ったこともある。
最近は、アクセス数もどんどん減って来て、いったいどなたがお読みになっているのだろう、という状態だが、何も書かないでいれば、そのうち書くのが億劫になってしまう。だから、時間がある限りは、とりあえず何か書くようにしている。
そして、書くのであれば、生活に密着した地べた目線の観察をもっと活かすべきだと思う。先生が面白いとおっしゃったのも、そういう地べた目線の観察だったに違いない。
ところが、2013年の6月以降は、身の丈を越えた時事問題の記事が、なんだか随分多くなってしまった。
トルコにとって忌まわしい事件が次から次へと続き、それがまた、一部では意図的とさえ思えるほど歪曲された形で日本に伝えられているのを見て、何か一言書きたい衝動を抑えがたくなっていた。
先生がご指摘になったように、トルコについては、多少どころか、かなり間違ったことが伝えられても、そのままになってしまうらしい。
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ところで、こちらの時間では未だ30日だが、イスタンブールは、2015年の最後になって急に冷え込んで雪が降って来た。おそらく、この辺りは一面銀世界の新年を迎えることになりそうだ。
こうなると、天然ガスが頼りの我が家の暖房も気になってくるけれど、今のところロシアが天然ガスの供給を切るというニュースは伝えられていない。
それどころか、ロシア危機に備えて、来年には、北イラクからも天然ガスが供給されるという朗報が伝わっている。
しかし、いくら北イラククルディスタンとトルコが蜜月の関係にあるとはいえ、供給の是非を決めているのはアメリカじゃないだろうか? 
イラク戦争でトルコが漁夫の利を得たと喜んでも、石油等の肝腎なものは全てアメリカが押さえているに違いない。(もっとも、その為に彼らは戦争したはずだが・・)
トルコのある識者は、世界の石油価格も、その変動を握っているのはアメリカに他ならないと言い切っていた。
それから、世界の情報の流れの肝腎な所を握っているのもアメリカであるような気がする。
2013年以降、トルコはロシアや中国へ近づく姿勢を見せていたけれど、今や急速に西方回帰を果たしていると言って良いだろう。イスラエルとも関係の修復に動き出したらしい。
その為、トルコに纏わる情報の流れが変わり、ネガティブ・キャンペーンも収まって来たのではないか、あとはロシアが何を主張したところで、それほど大した問題じゃないという声も聞かれる。
そうなれば嬉しい。来年から、私を取り巻く状況はいよいよ厳しくなりそうだが、トルコには平穏な日々が訪れるように祈りたい。
それでは皆様、良いお年を!