メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの官僚

イスタンブールに現地事務所を構えていた日本の会社で働かせてもらっていた1992年の初秋、この会社がトルコへの輸入を試みた物品が、イスタンブールの税関で止められてしまった。
その物品は日本の遊戯機器、つまりパチンコ台だったが、これを輸入が禁じられているビリヤード台の類と見做して、通関不可を言い渡してきたのである。
直ぐに責任者の方たちとイスタンブールの税関へ赴いたところ、広くて立派な税関長室に案内された。
そこで我々を迎え入れた税関長もパリッとしたスーツに鷹揚な態度で、やはりなかなか御立派な雰囲気を漂わせていたものの、「なんとか許可が出るように尽力してみましょう」と、その対応はとても友好的だった。要するに、『いくらか出せば・・』と含みを持たせていたのだろう。
ところが、数日後、この税関長から、「アンカラの本省が不可と通達してきたため、もう私に出来ることはない」という連絡があった。どうやら、パチンコ台は、イスタンブール税関の裁量を越える案件になっていたらしい。
その後、政財界に繋がりを持つと言われる人物の仲介により、アンカラの本省まで行って、直々に輸入の許可を求めることになった。
私たちが面会したのは、多分、関税商務省で輸入を司る部署のトップに近い官僚じゃなかったかと思うが、まずは、その執務室の貧弱さに驚かされた。広くて立派なイスタンブールの税関長室とは比べ物にならない。
現れた官僚も40歳前後の風采の上がらない男で、地味なくたびれたスーツを着て、態度も非常に紳士的というか腰が低かった。
しかし、語った内容は極めて厳しく、「我々はパチンコ台がどういうものか良く知っている。その上で輸入を禁じたのであり、これは何があっても変わらない」と明らかにされて、取り付く島もなかった。
日本から出向していた責任者の方は、「ああ、この国は大丈夫だ。下が腐っていても上がしっかりしているから・・・」と何だか感動したような面持ちだった。
トルコで官僚が採用される過程はちょっと良く解らない。日本と同類の国家公務員試験を実施しているわけではないようだ。聞くところによると、ほぼ特定の大学の出身者の中から選び抜かれているらしい。中でもアンカラ大学政治学部が占める割合は非常に高いと言われている。
(日本も試験して得られた結果を見ればトルコと大して変わらないのでは?)
トルコの場合、『我こそは』という志がある若者たちに未だ「軍」という選択肢が残されているけれど、各省庁の官僚にも、かなり士気の高い優秀な人材が集まっているのは間違いないと思う。
この5~6年の間にも、何度か通訳として随行したアンカラの官公庁で、官僚と出会う機会に恵まれたが、やはり如何にも優秀な人たちばかりだった。
一度、エーゲ海地方の企画について、アンカラの官庁で話し合っていたところ、その場を仕切っていた役付きの官僚が、未だ入省して間もないと思われる若い官僚に、「君も日本の方たちと一緒に現場を見て来なさい」と命じた。
私たち日本人一行が、その夕方に航空機でエーゲ海地方へ飛び、ゆっくりホテルで休んで、翌朝その現場に赴くと、若き官僚は私たちよりも先に来ていた。
当然、航空機を利用したと思ったので、彼に「フライトは昨日何時の便だったのですか?」と訊いたら、恥ずかしそうに「いやあ、そんな贅沢は許されていませんよ。昨日、仕事が終わってから、夜行の長距離バスに乗って来たんです」と言うのである。
とても謙虚な態度の青年だったけれど、もちろんアンカラ大学とかそういう大学を出て来ているエリートだから、将来は次官ぐらいまで出世するかもしれない。なんだか畏れ多いような気がしてしまった。
トルコの軍や官僚機構には、おそらくオスマン帝国以来の伝統があるのだろう。組織の作り方などには、それなりの歴史があるはずだ。
軍においては、参謀総長が絶対的な権限を持っているものの、あくまでも組織として動くから、昇進も規定に基づいているし、参謀総長も定年を迎えて退役となれば、その影響力はたちどころに失われてしまうらしい。
トルコ共和国は、独裁者的な人物の恣意的な行動により、簡単に国家の機構がひっくり返ってしまうようには出来ていないと思う。エルドアン大統領が、度々「トルコ共和国は伝統に根ざした国家だ」と強調しているように、訳も分らぬままに独立してしまった「ぽっと出の国家」ではないのである。
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