1985年3月19日、イラン・イラク戦争の最中に、トルコ航空機が、テヘランに残された日本人を救出したという。これは、2004年にNHKのプロジェクトXでも取り上げられた。当時、イスタンブールに居た私に番組を視聴する機会はなかったが、内容を伝え聞いて、その劇的な展開に感動していた。
しかし、良く考えて見ると、この「救出劇」には腑に落ちない点も多い。例えば、私は1990年に日本でトルコ語を学び始めて以来、トルコ関係の本は大分読んでいたけれど、2004年まで「救出劇」については全く知らなかった。危機的な状況の中で助けてもらったのに、我々日本人はそれを20年近く忘れていたのだろうか?
それで、2009年頃だったか、イラン・イラク戦争に関する様々な記事を読んで見たが、テヘランの非常に危機的な状況を伝える記述は見つからなかった。
イスタンブール在住のイラン人の友人に訊いても、「空爆はあったけれど、イラクの仕業だよ。アメリカがやるみたいには行かないさ」と笑っていた。空爆があると、屋上に上がって、「あの辺に落ちたぞ!」などと騒いでいたそうだ。
また、以下のウイキペディアによれば、空爆は「救出劇」があった3月ではなく、5月になってから始まったらしい。
どうにも気になったので、タクシムのアタテュルク図書館まで出かけて、1985年の当時、トルコの新聞でどのように報道されていたのか調べてみた。この図書館には、トルコの代表的な各紙が、かなり昔の分から保管されているのである。
まず、「救出劇」前日の新聞に目を通してみたところ、「サダムが民間機へ攻撃を宣言したので、明後日以降のテヘラン便は全てキャンセルされた。このため、明日は臨時の増便があるだろう」といった小さな記事が見つかったぐらいで、「テヘランの危機」を伝えるような記事はなかった。
「救出劇」当日の新聞には、トルコ航空の増便に乗ってイスタンブールへやって来た日本の人たちの写真が掲載された小さな記事があり、「脱出出来て良かった。テヘランは恐ろしかった」といった日本人のコメントが簡単に紹介されているだけで、他の少し大きな記事には、「日本の経済人が訪土。トルコへ投資か?」という話がこれまた写真付きで紹介されていた。
当日、テヘランから飛んだトルコ航空便には通常の定期便もあったわけで、それほど緊迫した状況などなかったようである。しかし、テヘランに残された人たちが、通常便のチケットを手に入れることが出来なかったため、商社の人がオザル首相に掛け合って、増便を手配させたところに劇的な要素はあったかもしれない。
それよりも、事件から20年近く過ぎた2004年になって、プロジェクトXなどで取り上げられた経緯が不可解で興味深く思えてしまう。
2004年と言えば、ギュレン教団の後押しで親米的なAKP政権が発足して間もない頃である。トルコは様々な日本のテレビ番組で紹介され、ひょっとしたらトルコブームが起きるかのようだった。日本からトルコへの投資も増えていたらしい。
その頃、トルコに投資された日本の事業家の方から、以下のような話を聞いたこともある。
「米国がトルコ経済の安定を強く望んでいて、日本もトルコに投資するよう小泉政権へ圧力を加えている・・」
これが何処まで事実だったのか、今となっては確かめようもないが、当時も、トルコ経済の活況は海外からの投資に支えられているという説は様々な所で論じられていた。
もしも、そういう裏があって、トルコブームが焚きつけられていたのあれば残念であるとしか言いようがない。そんなブームが長続きするはずもなかったのである。また、脚色された物語で得られた友好など、確かな絆にはならないだろう。