メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クルド

工事現場で出会ったクルドの人たち

犠牲祭になって中断しているけれど、14日から市内の工事現場に通訳で入っていた。犠牲祭の休暇がなければ、日本の技術者による部分的な施工は、とうに完了していて、私の業務も終わっていただろう。短い期間だが、久しぶりに現場で働けるのは嬉しい。こう…

“クルド和平プロセス”の行方

昨晩(9月10日の晩)、表のバス通りでクラクションが鳴り響き、突然騒がしくなったので、何事かと思って外へ出たら、たくさんの人たちが大きなトルコ国旗を掲げて、デモ行進していた。南東部で相次いだPKKのテロを非難する、AKP政権支持者らによる…

PKK(クルディスタン労働者党)

昨日、アクシャム紙のコラムで、ギュライ・ギョクテュルク氏が、南東部のシュルナク市から発信されたニュースを伝えていた。トルコ軍の軍曹が、具合の悪くなった妻を連れて病院へ行き、診療が終わって市内に戻ろうとしたところ、武装したPKKの戦闘員4人…

“クルド和平交渉”の凍結

日本と韓国にいた間、トルコから伝えられて来るのは暗いニュースが多かった。PKKは再び武力闘争に転じ、“クルド和平交渉”は頓挫したかのようだ。今月の19日、イスタンブールのアタテュルク空港に降り立って、市内へ向かう電車に乗ったところ、近くにい…

“クルド和平プロセス”の難しさ

私が暮らしているイエニドアンの街では、6月7日の選挙の結果に多くの人が酷く落胆していた。その後、CHP主導の“反AKP3党による連立”という構想が脆くも崩れ去ると、少しは元気を取り戻したようだけれど、暫くの間、家電修理屋さんも廃品回収屋さん…

クルド和平プロセスの行方

2004年3月、ラディカル紙のコラムで、アヴニ・オズギュレル氏は以下のように語っている。「トルコ共和国が複数政党制に移行した1946年以来この方、選挙民の選択は全く変わっていない。トルコ国民の65%は、右派もしくは宗教色の強い保守政党に票…

これからどうなるのか?

2002年当時、“10%に達しない政党には議席が与えられない”という規定は、それこそAKPのように、イスラム主義と思われる政党、あるいはクルド系の政党が議席を得られないようにする為だったのではないかと思うけれど、政権に就いたAKPは、なんと…

アブドゥルラフマン・ディリパク氏

先日の“賢人会議”には、アブドゥルラフマン・ディリパク氏のようなイスラム主義者のジャーナリストも参加していたし、どちらかと言えば政教分離主義に近いリベラルであるタルハン・エルデム氏のような識者も参加していた。様々なカテゴリーに属する人たちが…

旅の記憶

トルコの東部・南東部は、93年と94年の2度に分けて旅行している。94年の旅が6月だったのは確かだけれど、93年は暑かったことぐらいしか覚えていない。当時は、あとで何か書くつもりなど全くなかったから、写真は随分撮ったけれど、他に記録らしい…

非常事態宣言下の旅

クズルック村にいた頃(1999~2003)、近所に高圧電線敷設の技術を持った男がいて、時々、長期間泊り込みで地方へ出かけては、敷設作業に携わっているようだった。いつだったか、その男が南東部ディヤルバクル周辺の山間部で作業してきたと言う。当時、南東…

非常事態宣言下のビトゥリス

1987年~2002年にかけて、南東部のディヤルバクル県等は、非常事態宣言地域となっていた。当時は、PKKとの間で激しい武力衝突が繰り返されていたのだから、止むを得ない処置だったかもしれない。ウイキペディアのトルコ語版を見ると、正規ではな…

ビトゥリスの墓所と犬

10リラの城壁、眺めは素晴らしかったけれど、入場料を取るにしては、整備状況がお粗末だったような気もする。案内板は入口のところに簡単なのが一つあっただけで、望楼などが何処から上がれるようになっているのか、何の標識も出ていなかった。回廊の電気…

ISISの攻勢~クルド和平プロセス

ISISに纏わる陰謀論だが、3日付けのサバー紙で、コラムニストのマフムト・オヴュル氏は、昨年6月のゲズィ公園デモから年末の不正事件、そしてISISの攻勢に至る全ての騒乱が、“クルド和平プロセス”に対する妨害工作であるかのように述べている。 こ…

大統領候補のセラハッティン・デミルタシュ氏

HDP(人民の民主党)から大統領選に立候補したセラハッティン・デミルタシュ氏は、まだ41歳と若い。4年前には、HDPの前身となったクルド地域政党BDP(平和民主党)で、早くも党の指導的地位に上り詰めている。 しかし、ウイキペディアのトルコ版…

国家の敵

90年代、トルコで最も危険な“国家の敵”と言えば、“ボルジュ(分離主義者)”と“ミュルテジ(保守反動主義者)”だった。“ボルジュ(分離主義者)”は、トルコからの分離独立を企てるクルド人勢力などであり、オジャラン氏が率いるPKKは、実際に武力闘争を…

クルド和平の影響

トルコの軍は、クーデターを起こしても、早めに民政移管して、政権に居座ることはなかった。 しかし、民主的な選挙を実施すれば、保守派ジャーナリストのアヴニ・オズギュレル氏が論じたように、「トルコ国民の65%は、右派もしくは宗教色の強い保守政党に…

イスタンブールのデモ騒動

昨日のイスタンブールの騒動は、日本でも報道されたようである。昨年6月のデモ騒動で負傷し、昏睡状態の続いていた少年が亡くなり、昨日、葬儀が行なわれた後で、大規模なデモと衝突があって、また一人亡くなったらしい。 週末にかけて、またデモの続きがあ…

最大の敵:国民国家!

トルコでは、4~5年前でも、「“クルド語による教育”は“分離独立”をもたらす」であるとか、「このまま多様性を認めて行ったら国家は分裂してしまう」といった議論が激しく闘わされていた。イスラム化の問題と同様、こういった多様化の問題でも、私は、その…

2014年のトルコ

謹賀新年。明けましておめでとうございます。 2014年は、トルコにとって、どんな1年になるだろうか? 昨年は、“クルド和平のプロセス”がいよいよ現実味を帯びて来る中で、希望に溢れる1年の幕が開いたけれど、6月の“ゲズィ公園騒動”を境に影が差し始…

ディヤルバクル

昨日、トルコ南東部の主要都市ディヤルバクルで、「歴史的」とも言えるようなイベントがあった。 北イラク・クルド自治区のマスード・バルザーニ大統領、38年前にトルコから亡命していたクルド人歌手シヴァン ペルウェル、トルコ歌謡界の帝王と言われたイ…

民主化パッケージ

昨日、エルドアン首相が、民主化パッケージを発表した。私立学校でクルド語による教育を可能にする改正であるとか、軍・警察・司法を除く公務員(女性)のスカーフ着用の自由化といった項目が含まれていたが、あっと驚くような内容ではなかった。エルドアン…

オジャランの声明等々

昨日、クルド人の知人に電話して、今回のオジャランの声明について尋ねてみた。 彼はトゥンジェリ県の出身で、イスラム主流のスンニー派から、異端のように見られているアレヴィー派。私と同年輩の温厚な左派の知識人である。 以前はジュムヒュリエト紙の記…

そして、道は開かれた・・・

一昨日の3月21日は、トルコの“春の祭典”ネヴルーズだった。日本の“春分の日”。イランではノルーズと呼ばれ、イラン暦の新年ではなかったかと思う。この日は、昔から、中央アジアやイラン、トルコの人たちにとって大切な“春祭り”の日だったらしい。ところ…

「 トルコ人とは、いったい何者なのか?」

先日、タハ・アクヨル氏のコラム(3月2日付けのヒュリエト紙)に興味深い話が紹介されていた。1932年、アタテュルクは、アナトリアで6万4千に及ぶ頭蓋骨を計測調査するよう指示した。当時、ヨーロッパでは、トルコ人や全てのアジア系人種をモンゴロ…

ハジュ爺さんの噂話

うちの大家さんは、黒海地方の出身で74~5歳じゃないかと思うが、まだ42~3歳の若い後妻がいる。前の奥さんは数年前に亡くなったらしい。その奥さんとの間に、何人か子供がいて、長男は何処かで校長先生だか何だかになっているそうだ。後妻との結婚に…

クルディスタン自治区

フェースブックで、トルコ人の友達が、北イラク・クルディスタン自治区の首都アルビールのレポートを写真付きで伝えていた。この数日、他にトルコの各紙でも、コラムニストが何人かアルビールに取材して記事を書いていた。 アルビールは大変な活況らしい。ト…

クルド語の講演

イスタンブールのブック・フェアでは、もう一つ別の講演会にも出かけて見た。ブック・フェアのパンフレットに、「言語・歴史とアイデンティティー/Dil Tarih ve Kimlik(トルコ語)」という講演の予定が記されていて、講演者が“ジャン・ドスト(Jan Dost)”…

日本人は気楽で幸せだ

3年ぐらい前に黒海地方のトラブゾンで地元の青年たちから、こんな話を聞かされた。「トルコに、“(私は)トルコ人であると言える者は幸せだ”という標語がありますね。あれは“トルコ人である者は幸せだ”じゃないところが素晴らしいのです」彼らの中には、ギ…

今日からバイラム

8月1日に始まったラマダンの断食も昨日で終わり、今日から3日間のバイラム(イスラムの祝祭)です。7月に引っ越すまで、エサットパシャのアパートには4年近く住んでいました。部屋の家主は、近くに住んでいるペンキ屋さんで、家賃収入を得る為に所有す…

母語の喪失「思い出は標準語で蘇ってまいりました。絶望的な痛みから逃れるために」

この10年ぐらいの間、トルコの経済が成長を続け、イスタンブールのような大都市で雇用が増大すると、南東部から多くのクルド人が大都市へ移住するようになりました。また、最近は南東部のディヤルバクルにも、イスタンブールにあるのと同じようなショッピ…