メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ハジュ爺さんの噂話

うちの大家さんは、黒海地方の出身で74~5歳じゃないかと思うが、まだ42~3歳の若い後妻がいる。前の奥さんは数年前に亡くなったらしい。その奥さんとの間に、何人か子供がいて、長男は何処かで校長先生だか何だかになっているそうだ。
後妻との結婚には、長男ら皆が反対した為、大家さんはここに新居を構えて、彼らから離れたようである。
後妻の素性は良く解らない。20歳ぐらいの連れ子がいるけれど、この青年の話は8割方嘘じゃないかと思えるくらい、平気で嘘をつく。母親の方も推して知るべしだろう。
昨年の5月、上の階に住んでいる大家さんが、私を訪ねてきて、深刻な表情で語りだした。「もう、あの女とは別れることにする。原因はあれの息子だ。あの子には我慢できない。だから、暫く家賃を振り込むのを見合わせてくれ。振り込んだら、あの女がカードを使って引き落としてしまう」。
それから数日後の晩、上の階で激しく言い争う声が聴こえていたかと思ったら、誰が呼んだのか、パトカーまで出動して大騒ぎになった。近所の人たちは、皆、外へ出てこちらを凝視している。
結局、その晩、大家さんはパトカーに乗せられ、署に連行されてしまった。諍いの経緯は、まったく解らないが、これで離婚は決定的だと思った。
翌日、大家さんの長男と思われる方が来た、その後も毎日のように来て、何事か大家さんと話し合っているようだった。しっかりした雰囲気の紳士で、歳は私と同じぐらいだろう。
その時、どういう話し合いが持たれたのか解らないけれど、事件後、姿を見せていなかった後妻が、1週間ぐらいしたら、何事もなかったかのように一人で戻ってきた。連れ子は何処かへ置いて来たようだ。
後妻の女にしてみれば、大家さんが亡くなるまで待たなければ、結婚した意味がない。大家さんの長男にしてみても、今更、この厄介な父親の面倒を見るのは大変だ。その辺に妥協点があったのではないかと想像する。
さて、これはつい先日のことだが、停留所でバスを待っていたら、左翼風に顎鬚(イスラム風の顎鬚と少し違うだけだが、慣れれば直ぐに見分けがつく)を蓄えた30歳ぐらいの男性に声を掛けられた。
「貴方は、ハジュ(巡礼者)の所にいる人ですよね。私は隣に住んでいる者です。よろしく」
「ハジュ?」
「ええ、オスマン爺さんのことですよ。私ら近隣の者は、皆、あの爺さんをハジュ(巡礼者)と呼んでいます」
そう言って、彼は意味ありげにニヤニヤ笑った。大学で地理学を修め、暫く地方で働いていたが、今はイスタンブールに戻って来て、姉の所へ身を寄せ、高校教員の資格試験に備えているそうだ。
故郷が、アナトリア最東部のアール県であることが解ったので、「クルマンチ・ザーニー(クルド語解りますか)?」とクルド語で訊いたら、とても喜んでいた。現在、進められているクルド和平交渉には、かなり期待を持っているようだ。「我が指導者オジャランが望んでいますから・・・」なんて言う。
同じバスに乗って、ヨーロッパ側まで渡った為、そのまま30分ぐらい雑談を続けた。地理学を修めただけあって、日本について頓珍漢なことを訊いたりはしない。クルド問題についても少し話したが、彼が私から最も聞きたがったのは、ハジュ爺さんの近況だった。
「ハジュの爺さん、自分でセメントこねて、門の前にタイル張ったりしているけれど、いったいどうしたの?」とか、まず良く観察している。おそらく、近所中でハジュ爺さんの一挙手一投足に注目しているのだろう。
他にも、「貴方は、ハジュ爺さんにどのくらい家賃払っているのか?」「ハジュ爺さんと話して解り合えるのか?」等々・・・いろいろ訊かれた。近所の人たちが集まると、よくハジュ爺さんの噂話が出るらしい。
この世の中で、間抜けな他人の噂話ほど楽しいものはない。近所には彼のようなクルド人もいれば、他の地域出身のトルコ人もいるが、こんな面白い噂話があれば、クルド人トルコ人もなく皆で楽しめるのだろう。
うちのハジュ大家さんは、なかなかトルコの平和に貢献しているかもしれない。