メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールのデモ騒動

昨日のイスタンブールの騒動は、日本でも報道されたようである。昨年6月のデモ騒動で負傷し、昏睡状態の続いていた少年が亡くなり、昨日、葬儀が行なわれた後で、大規模なデモと衝突があって、また一人亡くなったらしい。

週末にかけて、またデモの続きがあるのかどうか良く解らないが、この騒ぎが今月末の地方選挙に与える影響は、それほど大きくならないだろうと言われている。

最近の世論調査の結果を見ると、与党AKP支持が40%~45%、第一野党CHP支持は25%~30%ぐらいである。(AKPは前回2009年の地方選挙で39%しか取っていない)

これで45%の方が、街頭に繰り出したら、それこそ大変な事態になってしまうけれど、昨日のデモの大部分は、野党支持者だったそうだ。45%はこの騒ぎを不愉快な目で見ていたのではないだろうか? 少なくとも、我が街に住む与党支持の保守的な人たちは、デモの参加者らに怒りをぶちまけている。中には反発票が与党AKPに回るだろうと言う人もいる。

私は、デモ騒動よりも、この数日続いている未決囚の保釈のほうが気になっていた。元参謀総長のバシュブー氏をはじめ、AKP政権の転覆を狙ったクーデターの企図に関わったとされる軍人らが次々と塀の外に出て来ている。

この軍人たちが逮捕された頃は、フェトフッラー・ギュレン師の信奉者が司法内に勢力を持っていて、彼らがAKP政権に協力したらしい。ところが、クーデター計画には関与していなかったと思われるバシュブー元参謀総長終身刑が言い渡された辺りから、AKPとギュレン教団の間には多少齟齬が生じ始めていたという。

AKPとギュレン教団間の齟齬は、昨年末、ついに全面対決へ発展してしまい、司法内の教団勢力は、AKPの関係者を不正疑惑で逮捕する。AKPは、直ぐに判事らの配置換えなどで対抗処置を取り、司法内から教団勢力を一掃すると宣言した。

そして、新たに形作られた“公正”な司法により、バシュブー元参謀総長らに再審の機会を与えると言い、今回、その一歩が踏み出されたようだが、どうやらAKP政権が保釈を望まなかった人たちまで、どんどん出て来ているらしい。

2002年にAKPが政権に就いた頃は、軍、司法、官僚の殆どが反AKPだったと言われている。司法にはAKPを法的に解党しようする勢力があり、軍にはクーデターを企図する勢力があった。その為、AKPは司法内に入り込んでいた教団の勢力と手を結ぶことで、この難局を打開して行ったそうだ。

つまり、司法内から教団の勢力が駆逐された現在、残っているのは、“元来反AKP的だった人たち”の可能性が高いかもしれない。

また、独裁者と言われるエルドアン首相は、政権に就いて以来、一度も直接司法を掌握していなかったらしい。おそらく軍を完全に掌握したこともなかっただろう。全ては微妙なバランスの上に成り立っているようである。

先月末、国家安全保障会議が開かれ、軍もギュレン教団を脅威と認めたと報道されていたけれど、反政権的なタラフ紙は、軍の態度がAKPとは異なり、教団を従来通りの“反動勢力”と看做していた点を指摘している。軍はある程度独立した力を今でも維持しているのではないかと思う。

今日のザマン紙で、エティエン・マフチュプヤン氏は、AKPが地方選挙で45%ぐらい確保できれば、選挙後に軍及び官僚と新たな協力関係を構築できるだろうと述べている。実際、軍にしても司法にしても、AKPとは“教団”という共通の敵が出来たから、暫くは協力して行くような気もする。

クルド和平のプロセス”でも、引き続き、AKPと軍は協力し合うはずだとマフチュプヤン氏は見ている。さすがに、もう軍にも、クルド人らを武力制圧出来ると思っている勢力は残っていないのだろう。

昨日のデモに参加したような、とにかく反AKPを唱える左派の中には、あからさまに「クルド人は独立して出て行けば良い」という人もいる。要するに、トルコ人だけの“小さなトルコ”を望んでいるらしい。しかし、軍の中にそういう発想があるとは、とても考えられない。“和平プロセス”により、領土の統一を守ろうとするのではないか。

マフチュプヤン氏は、エルドアン首相に権威主義的な傾向が高まったのは、政局に危機的な状況が生じてからだと言う。確かに、緊張がなければ、あれだけエルドアン首相が前面に出る必要はなかったように思える。

エルドアン首相が攻撃された場合、支持する民衆の多くは、自分たちが攻撃されていると感じたようだ。エルドアン首相を嫌って攻撃する人たちは、その背後にいる保守的な民衆に対しても嫌悪感を懐いているから、まあ、その通りなのだろう。だから、保守的な民衆は、エルドアン首相が、厳しい態度で彼らに反撃することを望む。この悪循環を何処かで断ち切らなければならないけれど・・・。

ところで、権威主義的な“独裁者”エルドアン首相は、いったい何を完全に掌握しているのか。メディアは、国営放送を始め、かなりの部分を押さえたが、まだまだ反対勢力も多い。軍の意向には必ず従わなければならなかった以前に比べれば、かなり民主的になったと思う。

行政面はかなり掌握しているようだ。トップダウンで仕事がどんどん進むようになったらしい。その代わり、多分、公共事業の入札などでも突っ込み所はたくさんあるのかもしれない。

つまらない話を思い出したけれど、8年~10年ぐらい前だろうか? ネットで、「日本の国際協力銀行はインジ・ババと同じだ」という記事を見つけた。国際協力銀行はトルコに融資しただけではなく、入札にも介入して、日本企業が落札するようにしたというのである。この記事、暫く経って、また読もうとしたら、どう検索しても見つからなくなっていた。

インジ・ババというのは、1993年に殺されたマフィア組織の親分。インジは真珠の意だから、“真珠親爺”といったところだ。子分の喧嘩を仲裁中に誤って撃たれてしまったそうだが、翌日、一面の大見出しで死が報じられていたので唖然とした。当時の大統領スレイマン・デミレル氏が「インジ・ババは良い友人だった」とコメントし、一緒に撮られた写真が掲載されていたのも驚きだった。

記事によれば、70年代だか80年代、アンカラにおける公共事業の入札は、殆どインジ・ババが仕切っていたそうである。インジ・ババやデミレル大統領もなかなかの“独裁者”だったかもしれない。

しかし、昨日の葬儀とデモのニュース、私は人間が薄情にできている所為か、昏睡状態に陥っていた少年のことをとっくに忘れていたけれど、悲しみの余り街頭に繰り出した人たちは、おそらく7ヵ月の間悲しみ続けていたのだろう。これだけ死に対して感受性が豊かなのだから、90年代、毎日のように南東部でクルド人たちが殺されていた時は、胸が張り裂けんばかりになっていたに違いない。お労しいことだ。“クルド和平のプロセス”により、この1年は、そういうニュースがなくて良かった。