メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

PKK(クルディスタン労働者党)

昨日、アクシャム紙のコラムで、ギュライ・ギョクテュルク氏が、南東部のシュルナク市から発信されたニュースを伝えていた。
トルコ軍の軍曹が、具合の悪くなった妻を連れて病院へ行き、診療が終わって市内に戻ろうとしたところ、武装したPKKの戦闘員4人に車を止められ、軍曹だけ降ろされてしまう。しかし、妻も隙を見て車から降りると、連れ去られようとしていた夫のもとへ駆け寄り、「死ぬなら一緒に死ぬ」と叫んだことで、状況が一変する。周囲にいた一般のクルド人市民らが夫婦を守ろうとして集まったため、結局、戦闘員らは拉致を諦めて、その場から立ち去ったらしい。
もちろん、こういった記事だけで、実際の状況が解るわけでもないが、かつては武装した戦闘員の言いなりになっていた民衆が、これにささやかな抵抗を見せ始めたというニュースは、他のメディアからも伝えられている。
ギョクテュルク氏によれば、PKKは言うことを聞かない市民を一人ずつ殺すことは出来ても、抵抗しようと集まった群衆に武器を向けることは出来ない。
武力闘争に転じたPKKは、自分たちの領域を確保するために、道路を封鎖したり、携帯電話の通信ステーションを焼き払ったりしているものの、これによって生活権を脅かされた一般のクルド人民衆は、既にPKKを恐れることなく、抵抗するようになったというのである。
事実であれば、これは“和平プロセス”がもたらした最大の成果であるかもしれない。PKKを恐れない民衆は、トルコ政府にも恐れず要求を突きつけ、自分たちの代表として議席を得たHDPの議員らが、要求の実現に尽力することを望むだろう。近いうちに、こうした一層民主的な環境の中で、“和平プロセス”が再開されるよう祈りたい。
しかし、もともと左翼革命的なイデオロギーのもとに、分離独立を目指す武装組織として結成されたPKKが、そう易々と“和平”に応じるとは考えられていない。
ところで、先日、北イラクカンディルという山の中に籠っているPKK幹部らの写真が、ネットの記事に掲載されていた。いずれも戦闘服を身に着けて勇ましいが、白髪や禿げ頭の目立つ老人ばかりである。
現在、イムラル島に収監されている、かつての指導者オジャラン氏が67歳になるのだから、幹部同志の多くも60歳を越えていて不思議ではない。80年代に武力闘争を開始した頃は、皆、血気にはやる30代の青年革命家だったのかもしれないが、その後、全く世代交代することなしに、30年以上、彼らが闘争を主導してきたらしい。
「革命を叫ぶ青年たち」はともかく、「革命を叫ぶ老人たち」は、何処でも余り歓迎されない存在に成り果てているような気がする。

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