メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

私事・体験談・回想等々

理科系の強さ

ここで駄文を公開し始めて12年が過ぎるけれど、アクセスは全く増えなかった。また、アクセスがあったとしても、実際に記事が読まれたかどうかは定かじゃない。おそらく、各記事を初めから終わりまで読んでいることが確かなのは、この世に一人しかいない。…

「君はそれを日本でやるのか?」

先日、“YouTube”で、日本のニュース番組のリポートを見た。いつ放送されたものか明らかにされていないが、昨年の夏辺りじゃないかと思う。盆休みで人出が減っている深夜の渋谷や新宿に、外国人観光客らの姿が目立っているというリポートだった。画面に、コン…

糖質制限

4月に一時帰国して以来、私も“糖質制限”を始めた。というより、姉が作る実家の食事が糖質制限食になっていたので、これに従うよりなかったのである。 糖質制限は、体内に吸収されてブドウ糖に変わる食品の全てを制限するので、甘い菓子類ばかりでなく、ご飯…

名古屋のやくざマンション

長距離トラックの運転手をしていた1996年の4月、広島から名古屋まで、某引越センターの荷物を運んだ。広島では、既に引越センターの支部へ運び込まれていた荷物を積んで来たから、荷主の家がどういう様子だったのか、私は目撃していない。名古屋の搬入…

危ない酒と危ない人

クズルック村の工場にいた頃は、収入も安定していた所為か、ほぼ毎晩のように飲んでいた。 工場を辞めた後は、まず経済的な理由から、そんなに飲めなくなった。そして、2012年以降は、さらに健康も考えて、飲む頻度を減らした。 現在、週一はちょっと言…

酒の飲み方

33~5年前、20~22歳の頃は、湯上りに720mlの安い白ワインを一気飲みしたこともある。ちょっと寝付かれないような暑い夏の晩、冷蔵庫で良く冷やしておいた白ワインを一気に飲んでしまうと、とても気持ち良く寝られて、翌朝すっきり目が覚める。当…

イエニドアン

イスタンブールは、月~火(1月19日)にかけて、予報通り雪が降った。今日(1月20日)はきれいに晴れたが、週末はまた雪になるらしい。「もうたくさんだ」と言いたくなる。でも、イエニドアンの我が家の裏手を少し登ると、向こうの山の斜面に積もった…

ブルーモスク前の群衆/大平首相の思い出

天気予報によれば、イスタンブールは、月曜日から雪が降り、その後も暫く悪天候が続くらしい。それで昨日は、その前に買い物等々を全て済ませて置こうと、またシルケジからイエニカブ、メジディエキョイと方々を回って来た。そして、昨日も意図的にスルタン…

1991年イズミル・・・

1991年に、イズミルでトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。先生は、私の少々ずれた話もお聞きになり、「貴方の観察は面白い。トルコについて何か本を書いてみなさい」と勧めて下さったう…

まずは挨拶から:「お元気ですか!」

先日、チャーラヤンまで出かけた際、イスタンブール裁判所の直ぐ前を通った。間近に見るのは、これが初めてだったかもしれない。なかなかの威容である。2011年に落成しているけれど、その時、ちょっとした不手際が話題になっていた。地下駐車場の天井が…

目白御殿

東京都内の運送屋で働いていた1981年の末、1~2週間ぐらい某百貨店に出向して、お歳暮の配達を請け負ったことがある。 このお歳暮は、非常に高価な“活け蟹”で、差出人はそれなりに余裕のある人たちだったに違いない。配達先も金持ちそうなお宅が多かっ…

変わる世の中

たまに一時帰国すると、いろいろ変わっていることがあって、戸惑ったり驚いたりしている。例えば、実家の近くのセブンイレブンで、レジに菓子パンやら発泡酒やら幾つか置いて、ぼんやり計算が済むのを待っていたら、店員さんに「押してください」と催促され…

美ヶ原

先月の24日、日本へ向けて出発した頃のイスタンブールは、夕方になると少し肌寒いくらいで、一向に夏らしくなっていなかった。それが、翌日、東京へ辿り着いた途端、あの猛暑で、夏好きの私もさすがに参ってしまった。神奈川県藤野の実家の辺りは、山に囲…

1978年8月:佐渡島の出来事

1978年、高校3年の夏休みに佐渡島を旅したことがあった。もっとも、佐渡島へ行こうと思って旅に出たのではなくて、上越線を越後湯沢辺り(正確に覚えていない)で降りて、そこからヒッチハイクして行ったら、たまたま新潟港で降ろされたので、ちょうど…

ポルターティフ~♪ マコト~♪

先日、仕事があるのかキャンセルになったのか、連絡が付かずに良く解らないまま、朝、所定の場所に行って、ぼおっと40分間、送迎の車を待ったが、結局、車は現れなかった。家に戻って、始業時間になってから、連絡を取ったところ、やはりキャンセルになっ…

高級官僚氏と美人の女房

96年、日本で長距離トラックの運転手をしていた頃の話である。 4月の引越しシーズンを迎えると、引越し専門各社は、中小の運送会社から大量の代車を受け入れて、これで何とかシーズンを乗り切る。私もこの年、3月中旬から4月末まで、10トン車で某引越…

脱線してしまった人生

81年か82年頃だったと思う。私は東京で2tトラックによる配送の仕事をしていた。その運送会社には、入れ替わり立ち替わりアルバイトの大学生が働きに来ていて、私のトラックで1日助手を務めてくれた学生もいる。彼は私より一つ年上だった。何処の大学か…

報道の事実性

ソウルの延世大学語学堂に通っていた88年、多分、オリンピックが始まる1ヵ月ぐらい前じゃないかと思う。同じ教室の日本人受講生の方から、「新聞の取材に協力して下さい」と持ちかけられた。承諾して詳しく話を聞いてみると、どうやらその方も、同じく語…

旅の記憶

トルコの東部・南東部は、93年と94年の2度に分けて旅行している。94年の旅が6月だったのは確かだけれど、93年は暑かったことぐらいしか覚えていない。当時は、あとで何か書くつもりなど全くなかったから、写真は随分撮ったけれど、他に記録らしい…

非常事態宣言下の旅

クズルック村にいた頃(1999~2003)、近所に高圧電線敷設の技術を持った男がいて、時々、長期間泊り込みで地方へ出かけては、敷設作業に携わっているようだった。いつだったか、その男が南東部ディヤルバクル周辺の山間部で作業してきたと言う。当時、南東…

非常事態宣言下のビトゥリス

1987年~2002年にかけて、南東部のディヤルバクル県等は、非常事態宣言地域となっていた。当時は、PKKとの間で激しい武力衝突が繰り返されていたのだから、止むを得ない処置だったかもしれない。ウイキペディアのトルコ語版を見ると、正規ではな…

ビトゥリスの墓所と犬

10リラの城壁、眺めは素晴らしかったけれど、入場料を取るにしては、整備状況がお粗末だったような気もする。案内板は入口のところに簡単なのが一つあっただけで、望楼などが何処から上がれるようになっているのか、何の標識も出ていなかった。回廊の電気…

観光ホテルの思い出

35年前に8ヵ月間住み込みでアルバイトした温泉街の観光ホテルは、副社長と専務という肩書きの兄妹である方たちが経営に当たっていた。妹の専務さんは、いつも和服を着こなしていて、いかにも“旅館の女将”という雰囲気だった。 オーナー社長は、65~75…

35年前の日本の信仰旅行

高校を卒業した年、日本の某地方にある温泉街の観光ホテルへ、アルバイトに行った。その年の9月から住み込みで働き始めて、翌年の4月までそこにいた。冬は一晩で2~3mの雪が積もる豪雪地帯で、12月の中旬から翌春にかけて、温泉街はスキー客で賑わう…

ルーメリヒサル~オルタキョイ

昨日、母が日本へ帰った。トルコはこれが5度目になるけれど、アルツハイマーのため、何を見聞しても直ぐに忘れてしまう。それで、とにかく景色が美しい所をテクテク歩くように努めた。お陰で、私も随分日に焼けた。母は元気で、うちからほど遠くないタシュ…

姿を見せぬ監視員女性

日本へ一時帰国していた2003年5月のこと、私は3千円ほどの現金をなんとか工面しなければならなくなってしまった。 ちょうどゴールデンウィークで、銀行はATMも休止している。ふところには330円しか残っていない。どうしようかと考えて、「こうい…

ソープランドの面接

もう30年以上前、多分、1981年だったと思う。それこそ私が猿のように「トルコ」へ通っていた頃の話である。ソープランドと改称されるのはもう少し後のことで、当時は「トルコ風呂」。巷では単に「トルコ」と呼び表されていた。(ルートコという言い方…

私たちの“西洋コンプレックス”

10年ぐらい前、ジャズとロックは「西洋土人囃子」に「西洋獅子舞」、ヨットを「西洋舟遊び」と論い、「何がヨットだ。東京の人間なら隅田川に屋形船でも浮かべて楽しんでろい!」などとメールに書いて、友人らの顰蹙を買ったことがある。確かに、こんなも…

日本とトルコの廃品回収屋さん

我が街の廃品回収屋さんは、信仰に篤い実直な人柄で、誰からも親しまれている。それで、皆がここに集まるのだろう。私も、留め金の折れた腹筋台を只で直してもらったりして、世話になりっぱなしだ。トルコでは、家畜の屠殺等に携わる人たちが差別されること…

携帯電話の最期

昨日、長い間使ってきた携帯電話が、ついに御臨終を迎えてしまった。2004年の10月か11月頃に買ったはずだから、9年以上使っていたことになる。あと8ヵ月持ち堪えれば、10周年を祝えるところだった。シーメンスの中国製で、2008年の11月に…