メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ルーメリヒサル~オルタキョイ

昨日、母が日本へ帰った。トルコはこれが5度目になるけれど、アルツハイマーのため、何を見聞しても直ぐに忘れてしまう。それで、とにかく景色が美しい所をテクテク歩くように努めた。お陰で、私も随分日に焼けた。
母は元気で、うちからほど遠くないタシュデレンの山に登って来た時などは、夕方になって、「今日は余り歩かなかったような気がする」と言い出した為、また我が家の裏山まで散歩に行ったりした。
一昨日は、ボスポラス海峡第2大橋の袂の“ルーメリヒサルユステュ”から、第1大橋袂の“オルタキョイ”まで歩いた。7キロぐらいはあったと思う。途中、べべクで大雨に降られて、近くのレストランに避難したら、料金がもの凄く高くて驚いた。
我が街イエニドアンの物価はそれほど高くないが、べべク辺りの物価は、もう日本の普通の街より高いかもしれない。
母と歩いていると、トルコの人たちに「お母さんはトルコが気に入りましたか?」と良く訊かれるけれど、どうなんだろう? 気に入ったも何も、殆ど記憶に留めていないと思う。
24年前、私がトルコ語を勉強し始めたら、母はこう言ったものである。「またお前は、変な国ばかり行きたがるんだね。普通は、フランスとかに興味を持つんじゃないのかい? まあ、朝鮮よりは良いか・・・」
その後も、「是非、トルコへ行ってみたい」といった話は余り出なかった。私がたまに一時帰国しても、「用がないなら、無理に帰って来ないでも良い」なんて言われた。しかし、今は少なくともトルコに来るのを楽しみにして喜んでいる。
私も下らない冗談を言って、母が笑ってくれると、とても嬉しい。よく私は周囲から笑いを取ろうとして、「そのネタ、もう何度も聞いてるよ」と呆れられているけれど、母には同じネタが何度でも使える。こんな良いお客さんはいない、と母に言ったら、また大笑いしてくれた。
もちろん、いつも親子漫才ばかりやっているわけじゃない。母がトルコを訪れるようになって以来、私は母から色々昔の話を聞いて楽しんでいる。近々の出来事は思い出せないが、50年以上前の話は忘れていないのである。この3年間で、初めて知り得た過去も少なくない。
母は、かつての都立第6高等女学校を卒業している。在学中、水泳部のキャプテンだったという。それで、子供の頃から『うちのお母さんもなかなかやるねえ』と少し自慢気に思っていた。ところが、母の話を聞くと、当時は終戦直後の混乱期で生徒数が少なかったため、同学年の水泳部は母一人しかおらず、進級したら自動的にキャプテンにされたそうだ。
これを聞いて何だかがっかりしたけれど、本当は20年30年前に、戦時中の話などもっと聞いておくべきだったかもしれない。

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