メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

1978年8月:佐渡島の出来事

1978年、高校3年の夏休みに佐渡島を旅したことがあった。もっとも、佐渡島へ行こうと思って旅に出たのではなくて、上越線を越後湯沢辺り(正確に覚えていない)で降りて、そこからヒッチハイクして行ったら、たまたま新潟港で降ろされたので、ちょうど出航間近だった佐渡島行きのフェリーに乗り込んだのである。

両津港に着いて、何処をどう歩いたのか、とにかく一軒の民宿風の宿を見つけて、そこで一泊することにした。途中、バスに乗ったような覚えもあるが、この辺りの記憶は余りはっきりしていない。宿があったのは、海岸から大分奥に入った所で、周囲に水田が広がっていたのを思い出す。

宿は50歳ぐらいのおばさんが一人で切り盛りしていた。(おばさんだけじゃなかったかもしれないが、覚えていない)

宿泊客は私以外に殆どいなかったような気がする。夜、もう10時ぐらいだったと思うが、1階入口近くの食堂でテレビを見ながらビールを飲んでいたら、30~40歳ぐらいの男二人連れが宿に入って来て、おばさんに部屋はないかと訊いている。

二人連れは、私と同じく2階の部屋に案内されたようだが、直ぐ食堂に降りて来ると、私の前に座って、いろいろ話しかけてきた。一緒にもう少しビールを飲んだかもしれないが、この辺りも余り良く覚えていない。

それから2階の部屋に上がって寝た。そして何時頃だったか、ふと目を覚ましたら、あの二人連れが枕元の辺りにいる。ここからの記憶はかなり鮮明だ。

私は未だ多少酔いが残っていたのか、それほど驚くこともなく、「どうかしましたか?」というような問いをボンヤリ彼らに訊いた。そしたら、向こうも「おばさん何処にいるの?」などと惚けたことを言う。

「おばさんは1階じゃないですか?」と答えたら、「ああそうなの? 起こして悪かったね」と言い残して部屋から出て行った。

その後私は、何も確認せずにまた寝てしまった。今から思うと随分間が抜けている。

朝、目を覚まして、『そういえば、夜中にあの二人連れが入って来たなあ』とボンヤリ考えていて、はっと飛び起きた。あれはどう考えても怪しい。枕元のカバンを見たら、チャックが開けられている。でも、財布は寝巻き代わりのジャージのポケットに入れてあったから、カバンの中は着替えだけで、取られるようなものは何も無かった。

やれやれと思いながら、食堂へ降りて、おばさんに、夜中の出来事を話したところ、おばさんは「えっ!」と驚いて、あたふたと2階へ上って行き、また直ぐに降りて来ると、「あーあ、やられちゃった」と呆れたように笑っている。

「何か盗られたんですか?」と訊いたら、「もういないのよ。宿代やられちゃったわね」と言って、また笑っていた。

旅行から帰ると、私は直ぐにこれを危ない冒険談の“ネタ”にして、何度も繰り返し話しながら得意になっていた。しかし、10年以上経って、北朝鮮の拉致疑惑が取り沙汰されるようになったら、『泥棒で良かった・・・』とその幸運に感謝しなければならないように思えてきた。

1978年8月の佐渡島である。翌日は、余り人気の無い日本海に面した海岸を歩いたりしてから小木の港に出た。もちろん何の危機感もないし、全く無防備な状態だった。でも、今考えて見れば、なかなか危なかったのかもしれない。

現在、日本では、シリアやイラクの周辺国にいるだけでも危ないんじゃないかと大騒ぎになっているらしいけれど、危機というのは案外身近な所にも潜んでいたのに、それに気がつかないまま、幸いにやり過ごしていた場合も結構あるんじゃないだろうか?