メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラムの政教分離

さきほど、「私はトルコ以外に、イスラム国を訪れたことがないので・・」と書き出してから、はたと気がついた。これでは、何だか“ISIS”と区別がつかなくなってしまう。
かつては、「イスラム教徒が大多数を占める国」程度の意味合いで、“イスラム国”あるいは“イスラム教国”という言い方が結構一般的に使われていたはずだが、これからは、せめて“イスラム教の国”と書かなければならないだろうか。
日本政府は、“ISIL”あるいは“IS”という略称を使うように呼びかけているけれど、既に“イスラム国”は、問題のテロ組織の名称として記憶されているため、「イスラム教徒が大多数を占める国」という意味で使うのは、やはりもう無理だと思う。
それに、あのテロ組織はあくまでも“イスラム国”を自称しているのだから、“イスラム国”という呼び方が特に不都合であるとは言えないだろう。かえって、“ISIS”に固執するほうがおかしいかもしれない。
しかし、日本には、自分たちが“中華”であると主張して「中華人民共和国」を名乗る国に対して、「あれは中華でも共和国でもない」と言いながら“支那”という呼称に固執している人たちもいる。これは、英語の“チャイナ”を考えれば、それほど不都合な拘りでもないらしい。
私はこの妙な拘りにちょっと抵抗を覚えるが、まあこれなら“ISIS”という拘りも許してもらえそうだ。
そもそも、他国の名称など、慣例に従って随分適当にやっているような気もする。例えば、“ハンガリー”の自称は、“マジャロルサーグ”であるという。日本では、“米国”とか“英国”といった呼称もまかり通っている。
あんなテロ組織をわざわざ自称で呼んでやる必要など何処にもなかったかもしれない。
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私はトルコ以外に、イスラム教の国を訪れたことがないので、私が見て来たのは、政教分離を実現した“トルコのイスラム”だけである。ところが、日本の識者の中にも、「イスラム政教分離は有り得ない」と説く人がいて、そうなると私が見て来たのは“イスラム”ではなかったということになってしまう。
実際、かつてはトルコのイスラム主義者にも、「政教分離は教義上認められない」と主張する人が少なくなかった。その為、政教分離主義者の人たちは、イスラムを徹底的に封じ込めなければならないと思っていたようだ。イスラム主義的な政党が政権を取ることなどもってのほかだった。
しかし、非常にイスラム主義的と思われていたAKPが政権に就いて既に13年が過ぎようとしている。この間、AKPの歴代の首相は皆、「トルコは政教分離の国家である」と繰り返して来た。

政教分離は必要である」というイスラム学者もいる。それは「世俗的な政治からイスラムを守るため」なんだそうである。おそらく、政教分離主義者は、「イスラムから政治を守るため」と言うのではないかと思うけれど、結局は同じことなのかもしれない。
ある小さな出版社を経営する知人は、「トルコに政教分離の危機などない。トルコはオスマン帝国の時代から政教分離だった」と語っていたが、やはりトルコには、もともと政教分離を受け入れる土壌があったのだろう。
さて、トルコでも、ISISの公開斬首がメディアで伝えられると、日本と同様、殆どの人々がぞっとして鳥肌を立たせていたのは想像に難くない。宗務庁のギョルメズ長官は、「ISISの凶行はイスラム学の分野ではなく、精神病理学の分野で語られるべきである」と言って、イスラム学者としてのコメントを拒否したそうだけれど、これは多くの人々の気持ちを代弁していたと思う。
多くの人々が、「あのきちがいじみた連中は何処から現れたのか?」と考えながら、「イスラムの中から・・・」なんてことは絶対に認めたくなかったに違いない。
しかし、死刑さえ全廃してしまったトルコと、未だに斬首刑を公開しているサウジアラビアなどを同じ“イスラム教の国”として語るのは難しいような気もする。
もしも、そういったイスラム教の国のイスラム学者が、「政教分離は教義上許されない。トルコのイスラムは真のイスラムではない」などと言うのであれば、その中から血生臭い暴力が現れるのは、それほど不思議ではないかもしれない。
エジプトの獄中にいるムルシー元大統領は、「あの時、エルドアン首相の助言を受け入れて政教分離を認めていれば良かった」と後悔しているだろうか? やはり、イスラムを理由に掲げたテロ・暴力を防ごうとするならば、イスラム教の国々が政教分離による民主主義の道を模索し始めなければならないのではないかと思う。