メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

危ない酒と危ない人

クズルック村の工場にいた頃は、収入も安定していた所為か、ほぼ毎晩のように飲んでいた。

工場を辞めた後は、まず経済的な理由から、そんなに飲めなくなった。そして、2012年以降は、さらに健康も考えて、飲む頻度を減らした。

現在、週一はちょっと言い過ぎだったかもしれないが、必ず2~3日は間隔を空けるようにしている。

考えて見ると、毎晩飲んでいたのは、日本でも23歳ぐらいまでで、産廃のダンプを始めたら、体力的にきついと感じて、とても毎晩は飲む気がしなくなった。

1994~95年、川崎の産廃屋の寮では、泡盛をがんがんやっている沖縄の先輩たちを見て、『付き合ったら、こっちの体力が持たない』と恐ろしくなり、「体質的に余り飲めません」などと嘘をつき、美味そうな泡盛の杯を勧められても断っていた。

要するに、毎晩飲んだら体に良くないとは、何となく思っていたのである。

これが、毎晩どころじゃなくて「朝から晩まで」になったら、その危険度は覚醒剤とそれほど変わらないかもしれない。既に廃人の一歩手前だろう。

しかし、覚醒剤と違って、廃人になるまで飲んでも、やくざに脅されたり、警察に逮捕されたりする心配はない。

産廃屋などで働いていると、身近に「覚醒剤をやったことがある」とか「やくざの知り合いがいる」といった人物が現れたりするけれど、可能な限り遠ざけて関わりを持たないようにした。そうすれば、素寒貧の私に、向こうから近寄ってくることはなかった。

ああいった連中と交渉を持ったら最後、ケツの毛まで抜かれてしまうらしい。初めから、抜かれる「毛」がなかったとしても、絶対にこちらから近寄ってはならない人たちじゃないかと思う。

私には、その手の人たちを多少身近に見る機会があったため、以来、それと同じ「雰囲気」を感じてしまう人間とは、極力関わらないことにしている。