メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

35年前の日本の信仰旅行

高校を卒業した年、日本の某地方にある温泉街の観光ホテルへ、アルバイトに行った。その年の9月から住み込みで働き始めて、翌年の4月までそこにいた。
冬は一晩で2~3mの雪が積もる豪雪地帯で、12月の中旬から翌春にかけて、温泉街はスキー客で賑わう。しかし、スキー・シーズンが始まる前の11月、紅葉も散ったこの地方を訪れる旅行客は珍しく、殆どの旅館やホテルが、11月の間は休館していた。その為、温泉街はまるでゴーストタウンのようになってしまう。 
ところが、私が働いていた観光ホテルだけは、その11月に特別な企画を実施して、ほぼ連日、全館満室の賑わいを見せていたのである。 
それは、県下の各真宗寺院に呼びかけて、門徒の御老人たちに念仏付きの一泊温泉旅行を楽しんでもらうという企画だった。各寺院の住職さんらに引率された門徒の団体が入れ替わり立ち代りやってきて、1ヵ月の間、ホテルはてんてこ舞いの忙しさになる。
御老人たちは、バスで昼過ぎに到着すると、まずゆっくり温泉に入り、それから玄関ホールの奥にあるロビーに集まって念仏を唱える。ロビーの正面には大きな仏壇があって、普段、ロビーとして使っている時は、とても違和感があった。
11月の最終日、最後の団体をお迎えした時には、従業員も皆ロビーに集められ、大掛かりな法要が催された。僧侶が何人も仏壇の前に並び、読経をあげるのだが、なんとも言えない調子とリズムがあって、しかも各々の僧侶が絶妙にハモりながら、クライマックスを演出するのである。あれはなかなか味わい深いものだった。
もちろん、念仏と温泉ばかりじゃなくて、夜は大広間で宴会が開かれた。宴会では旅回りの芸人さんによる様々な余興も披露されたが、どんなものがあったか殆ど記憶にない。漫才がもの凄くつまらなかったことだけ覚えている。
宴会が始まる前には、副社長という肩書きのホテルの経営者さんが、必ず大広間に出てきて挨拶した。
いつも、「門徒の皆様の篤い信仰心に応えるため、採算を度外視して当ホテルを提供させて頂いております」みたいな同じ口上を述べていたけれど、一度、何処かの爺様が「嘘こけ! 採算も取れんのに、こんなことするわけがなかろうが!」と大きな声で言い放ったら、経営者さん、かなりうろたえていた。 
私たちの仕事は、朝、まず大広間で朝食の仕度を整え、お客さんが大広間に降り始めたら、その間に各室のふとんを上げる。それから、大広間を片付け、お客さんがお帰りになった後で、各室の清掃に入る。
清掃は、男女のペアで行い、男子が部屋掃除、女子が浴室にトイレと決まっていた。私の相方は、その年、県下の高校を卒業して入社した正社員の女子である。(すらりとした美人で、私は未だに彼女の容姿を克明に思い出せる)
今考えると意外な気もするが、当時、既に客室のトイレは全て洋式になっていた。ホテルと言っても、表玄関で靴を脱いで上がってもらう旅館スタイルだったし、和室ばかりでベッドのある洋間もなかった。それにも拘らず、トイレだけは洋式だった。
しかし、そのために、トイレを掃除している相方の彼女は、1ヵ月の間に3回ほど悲鳴を上げなければならなかった。
つまり、洋式の使い方を知らない御老人たちが、便器の外へ放出したまま、お帰りになってしまうのである。
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先刻、「メッカへの大巡礼(ハッジ)」という駄文を書いて、『あの団体を引率する添乗員さんは大変だろうなあ』と思いながら、なんとなく35年前のこんな話を懐かしんでしまった。
あの門徒の御老人たちも、飛行機など乗ったことはなかっただろう。それどころか、バスに揺られて、同じ県下の温泉を訪ね、湯に入ったり、念仏を唱えたりするだけで、「ありがたや」と満足されていたかもしれない。多分、それぞれの時代に、それぞれの楽しみがあり、満足があるのだと思う。