メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本とトルコの廃品回収屋さん

我が街の廃品回収屋さんは、信仰に篤い実直な人柄で、誰からも親しまれている。それで、皆がここに集まるのだろう。私も、留め金の折れた腹筋台を只で直してもらったりして、世話になりっぱなしだ。
トルコでは、家畜の屠殺等に携わる人たちが差別されることはない。イスラムの犠牲祭で、生贄の屠殺は神聖な儀礼となっている。そして、廃品回収業にも薄暗いイメージは全く見られないような気がする。(少なくともイエニドアンでは)
日本ではどうだろうか? 私が30年前に産廃のダンプをやっていた頃、産廃、解体、廃品回収は、各々密接に関わり合う業種であるけれど、いずれも余り良いイメージは持たれていなかったと思う。

産廃や廃品回収業の経営者には、在日朝鮮・韓国人や被差別部落系の人たちが多かった。
私が働いていた産廃屋の社長は、在日朝鮮人だったが、先輩の日本人社員の話を聞いていると、なんとなく在日朝鮮・韓国人系の会社を、被差別部落系のそれより優位に見ている節が感じられた。
社の番頭格だった先輩は、「うちの親爺(社長)は朝鮮人でも〇〇じゃないから、うちは大手のゼネコンで仕事ができる」なんて良く話していた。また、近くの同業者と比較して、「親爺は人種差別しないところが良い。某社へ行って見ろ。あそこは朝鮮人じゃないと出世できない」と社長を持ち上げていたが、当時、あの業界では、日本人が差別の対象になっていたらしい。

 しかし、2003年の一時帰国中に、友人の仕事を手伝って、川越街道沿いの廃品回収屋に粗大ゴミを棄てに行ったら、そこの社長がイランの人だったので驚いた。タブリーズ出身のトルコ系アゼリー人と言うから、トルコ語で話しかけてみたところ、今度は向こうが驚いていた。
この時は、川越街道をもう少し進んで、あの辺りでは最も大きい在日朝鮮・韓国人経営の廃品回収センターにも寄ったけれど、ここへは産廃のダンプで何度も来たことがある為、とても懐かしい感じがした。20年前とそれほど様子も変わっていなかった。さらに10年たった今はどうなっているだろう? 
廃品回収センターには、ダンプが乗れる大きな秤があって、まずそこで総重量を計り、鉄屑等を降ろしてから、その差数を計算するシステムになっていた。
アルミニウムや銅線は、結構高い値で売れた。ダンボール紙も量が多ければ、ちょっとした小遣い稼ぎになった。私は2~3度、ここに4tダンプ満載のダンボール紙を降ろしたことがある。当時の工事現場では、資材を梱包していたダンボール紙が大量に棄てられていたのだ。
一度は、先輩から教わった汚い手で、儲けを少し増やして、とても喜んだりした。
どうするのかと言えば、乾いたダンボール紙を8割方積んでから、現場のホースを借りて、真ん中の辺りだけ水を撒き、その上へまた乾いたダンボール紙を積んで、降ろす時に、巧く形が崩れないようにすると、中ほどの濡れたダンボール紙には気がつかれないまま、“乾いたダンボール紙”で計算してもらえるのである。
降ろす時は、ダンプをアップしながら、さっと前に出る。巧くやれば、ダンボール紙は積み上げた形を維持して、ストンと降りる。30年前のあの日は非常に巧く行って有頂天だった。
先日、イエニドアンの廃品回収屋さんに、この話を聞かせたら、「何処でも似たようなことやっているんだなあ。トルコの業者もダンボール紙をそうやって湿らせて持ち込んだりするんだよ」と愉快そうに笑っていた。