メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラム

理科系の強さ

ここで駄文を公開し始めて12年が過ぎるけれど、アクセスは全く増えなかった。また、アクセスがあったとしても、実際に記事が読まれたかどうかは定かじゃない。おそらく、各記事を初めから終わりまで読んでいることが確かなのは、この世に一人しかいない。…

ダッカのテロとIS

アタテュルク空港爆破テロもさることながら、ダッカのテロが日本の社会に与えた衝撃は大きかったに違いない。滅多に連絡のない友人まで、「テロは許さん!」と長文のメッセージを書き送って来た。メッセージには「テロリストを全員処刑したい」とか「彼らの…

アタテュルク空港爆破テロはISの犯行か?

アタテュルク空港爆破テロは、ISの関連組織による犯行とほぼ断定されたようだけれど、例によって、ISからは犯行声明が出ていない。そのため、トルコの反エルドアン・反AKP系メディアは、ISとAKP政権の間にまるで協力関係があったかのように論じ…

「君はそれを日本でやるのか?」

先日、“YouTube”で、日本のニュース番組のリポートを見た。いつ放送されたものか明らかにされていないが、昨年の夏辺りじゃないかと思う。盆休みで人出が減っている深夜の渋谷や新宿に、外国人観光客らの姿が目立っているというリポートだった。画面に、コン…

ビュレント・エルソイ

エルドアン大統領夫妻と並んでイフタル(断食明けの夕食)の席に座っていたビュレント・エルソイ氏は、1952年の生まれで、現在64歳。エルドアン大統領と握手している写真は、服装が異なるから、このイフタルの席ではないようだ。写真の下には、「“ディ…

イスタンブールのラマダン

一昨日の午後から連続ドラマのエキストラに駆り出されて、昨日の明け方に帰って来た。撮影は、夜9時頃に始まり、深夜の1時半には終わっていたが、エキストラたちはエージェントが用意した2台のミニバスで、各々の自宅付近まで送られて行くため、遠隔地に住…

アトランティック・レコード創業者の墓地

アトランティック・レコードの創業者であるアーメット・アーティガン氏が眠る、ウスキュダルのオズベックレル・テッケスィ(オズベックレル僧院)にある墓地。僧院の礎を築いたと言われるアブドゥラー・エフェンディの後裔にあたる方が、今でもお住まいにな…

ビナリ・ユルドゥルム新首相

一時帰国中は、常時インターネットへ接続することもかなわず、トルコのニュースはおろか、日本のニュースさえ知らずに暮れる日が少なくなかった。しかし、この間、幸いトルコでは、大規模なテロといった暗いニュースが殆どなかったようである。 おそらく、最…

イスラム的なキリスト教会?

“Haberturk”の番組では、アフリカから奴隷としてアメリカへ連れて来られた末、ジョージア州のサペロ島に定着したイスラム教徒の足跡も紹介していた。もちろん、現在、島の住人はクリスチャンであり、イスラムの信仰は残っていないそうだが、島の教会には、メ…

ブルースの源流はアザーン?

昨日、お伝えした“Haberturk”の番組では、アメリカへ渡ったイスラム教徒の足跡を巡る興味深い研究が紹介されていた。 アフリカから奴隷としてアメリカへ連れて来られた人たちの中にはイスラム教徒も少なくなかったという。そのため、綿畑で働かされた奴隷た…

メルヴェ・カヴァックチュ(イスラムフォビアとトランプ氏)

昨年の12月に、“Haberturk”で放送された番組を、先日、“YouTube”から視聴した。欧米におけるイスラムフォビアの問題とトランプ氏の躍進について、メルヴェ・カヴァックチュ氏がアフシン・ユルダクル氏の質問に答えている。(両氏とも女性)現在、ウスキュ…

イスティックラル通り

今日の午前中、今度はイスタンブールの“イスティックラル通り”で自爆テロがあったようだ。詳細は未だ解らないが、PKK或いは傘下の武装組織による犯行と思われる。PKKは、3月21日の“ネヴルーズ祭”を焦点に行動を仄めかしていた。「自爆」をやるのは…

エルドアン大統領の次女が婚約

4年ぐらい前だったか、次のような趣旨の記事を読んだ。「AKP政権になって何が変わったのだろう? 以前、軍を中心とする体制は、イスラムの信仰を制限していたけれど、無信仰も認めていなかった。国民は体制の望むレベルで、イスラムを信仰しなければなら…

今日の昼飯/アルバニア風レバー/ベニスの商人

今日の昼は、家賃を入金しに行ったウムラニエで、“アルナブット・ジエリ(アルバニア風レバー)”を食べた。なんで「アルバニア風」なのか良く解らないけれど、トルコの定番メニューの一つで、小麦粉をつけて揚げたレバー(羊か牛?)にちょっと辛めの味付け…

1997年2月28日の政変/トルコのイスラム

昨日(2月27日)は、2011年に亡くなったネジメッティン・エルバカン元首相の命日だった。エルバカン氏は、イスラム主義運動“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”の指導者であり、1996年には、イスラム主義政党RP(福祉党)を率いて首相に就任し…

ディヤルバクル旧市街

昨年、12月21日付けの“通信”で、「南東部の混乱」について書いてから、既に2ヵ月が過ぎた。しかし、ディヤルバクルの「スル・イチ(城内)」と呼ばれる旧市街に立て籠もったPKKの戦闘員らは、まだ完全に掃討されていないようだ。一昨日も旧市街で一…

ターバンからフェス帽へ

オスマン帝国の末期を舞台にした、レシャット・ヌーリ・ギュンテキンの小説「イエシル・ゲジェ」には、ターバンを頭に巻いた保守派とフェス帽を被った改革派の対立が描かれている。 フェス帽は、共和国革命の後に禁止されて、イスラム的な保守派の象徴のよう…

ブルーモスク前の群衆/大平首相の思い出

天気予報によれば、イスタンブールは、月曜日から雪が降り、その後も暫く悪天候が続くらしい。それで昨日は、その前に買い物等々を全て済ませて置こうと、またシルケジからイエニカブ、メジディエキョイと方々を回って来た。そして、昨日も意図的にスルタン…

トルコ人気質/バランスと調和

2004年12月、ラディカル紙でインタビューに答えたムラット・チザクチャ教授は、オスマン帝国をビザンチン帝国の継続であると主張しながら、以下の例を引き合いに出している。 「もしも、コンスタンティノープルが征服されていなければ、皇帝コンスタン…

IS/イスラムフォビア

昨日に続いて、またネットから視聴した“政権寄りの番組”による話題だが、先週の木曜日に放送された“アーハベル(A Haber)”の番組で、イスラム学者のエクレム・デミルリ氏が、ISとイスラムフォビアについて、非常に興味深い見解を明らかにしていた。デミル…

トルコの政教分離と世俗化

クズルック村の工場には、非常に敬虔なムスリム・トルコ人のエンジニアもいれば、全く信仰のないトルコ人エンジニアもいた。しかし、日本人の出向者も含めて、皆が熱意を持って取り組んでいたのは、生産効率と品質の向上であり、そこには宗教や国籍の違いが…

アッラーが私を守ってくれた

現在、AKPの議員でもあるメフメット・メティネル氏は、2004年の2月、ラディカル紙のインタビューに答え、自分たちのようなイスラム主義者が、宗教を棄てた人間は殺されるべきだと信じていた過去を“告白”している。この「かつて私たちはタリバンのよ…

イスラム主義と政教分離主義の論争

昔読んだ記事に、かなり年配のトルコ人女性教授が、若い頃、フィールドワークとしてトルコ各地の農村を巡り歩いた時の思い出が綴られていた。多分、共和国初期の農村について語っていたはずだから、93~4年頃に読んだ記事じゃないかと思う。93~4年当…

人を憤激に駆り立てるもの

トルコのイスラム的な保守層の多くは、彼らの“敬虔な信仰”が、政教分離主義のエリートたちから、時代遅れの愚かな行為と見下されたことに、最も激しい憤りを感じていたのではないかと思う。パルヴェーズ・フッドボーイ氏は、「どんな宗教も、その宗教の優越…

11月10日

昨日の朝、7時40分のバスに乗ってカドゥキョイへ向っていたところ、バスがE5国道のギョズテペにさしかかった辺りで、バスも含めて国道を走る車が一斉に停車してクラクションを鳴らし始めた。一瞬何のことだか解らず、周囲の様子をうかがうと、8割がた…

亡くなったクルド人の友人

昨年の2月頃だと思う、まだ32~3歳だった友人が世を去った。3か月ぐらい経ってから知ったので正確な日付は解らない。久しぶりに近所まで行き、「彼の容体はどうだろう?」と訊いたら、「えっ? 知らなかったの? もう亡くなったよ。3か月ぐらい経つん…

イラン人の礼拝所

昨年は、イスラム暦ムハレム月の10日目“アーシューラー”の日に、アタテュルク空港に近いハルカル地区で催された盛大なアーシューラーの行事を見学してきた。シーア派の人々にとってアーシューラーの日は、西暦680年のこの日に、イマーム・フサインが“カ…

モスクワのモスク

モスクワに1万人収容できるモスクが完成して、プーチン大統領と共にエルドアン大統領も式典に参席したことが話題になっている。グーグルアースで探してみたところ、未だ建設中のそれらしいモスクだけでなく、他のモスクワ市内にあるモスクも確認することが…

犠牲祭

今日、9月24日は“犠牲祭”の初日だった。昨年は、10月4日が初日で、サルガーズィまで散歩に行ったけれど、今年も全く変えることなく、これを繰り返した。サルガーズィの街には、“手回し回転椅子”や“パンチングマシーン”で楽しむ人たちがいて、これも昨…

イーテウォンのモスク

帰途、ソウルに到着した翌日が金曜日だったので、イーテウォンにあるモスクへ金曜礼拝の様子を見に行ってきた。このモスクの由来については良く解らないが、形状からして、トルコのモスクとは大分違うような気がする。東京ジャーミーのように、トルコの文化…