メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

11月10日

昨日の朝、7時40分のバスに乗ってカドゥキョイへ向っていたところ、バスがE5国道のギョズテペにさしかかった辺りで、バスも含めて国道を走る車が一斉に停車してクラクションを鳴らし始めた。
一瞬何のことだか解らず、周囲の様子をうかがうと、8割がたの乗客が席を立って前方を見つめている。『ああそうか』と携帯を取り出して、時刻を確かめたら、9時6分だった。11月10日はアタテュルクの命日で、亡くなった時刻には黙祷が捧げられるのである。
私はもう長い間、この光景を目にしていなかったので、式典などの場所以外では行われていないのかと思っていたけれど、そうでもなかったらしい。午後会った友人に訊いたら、「そうなんだよ。昔に比べたら大分少なくなったけれど、未だやっているんだなあ」と笑っていた。
イエニドアンの街ではどうだろう? 4年前に越してきて以来、たまたま居合わせなかっただけかもしれないが、この街のイスラム的で保守的な人々は、アタテュルクに敬意を表しても、“11月10日の9時5分”に黙祷まで捧げたりはしないような気がする。
しかし、かなり信心深い廃品回収屋さんの末弟も、昨日はフェースブックで“アタテュルクを追悼するメッセージ”をシェアしている。
また、数日前は、家電修理屋さんもアタテュルクについて語っていた。
「今、アタテュルク主義とか言ってる連中には、ミッリがない(祖国愛がない)。でも、アタテュルクにはミッリがあった。そうじゃなかったら救国戦争に勝てるはずがない。そして、アタテュルクと一緒に戦ったのは、今のアタテュルク主義者みたいな連中じゃない。我々のようなムスリムだったのだ!」
2004年3月のラディカル紙のコラムで、アヴニ・オズギュレル氏は、AKPの母体となった“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”でイスラム主義運動を展開したネジメッティン・エルバカン氏が、その結果として、自分自身と共に、過激な考えを持った多くのムスリムたちを、(政教分離の)体制と和解できる地点にまで連れて来てしまったと論じていた。
ひょっとすると、AKPとエルドアン大統領は、さらに進んで信心深いムスリムたちを、アンカラのアタテュルク廟まで連れて来てしまったのかもしれない。
オズギュレル氏は、信心深いムスリムらが抱いている政教分離に対する不満を次のように説き明かしていた。
「西欧の慣行に倣って、国会や裁判所のような公的エリアにおける儀式が、宗教上の神聖な文言を無視して行われていることであるとか、知事や知事から任命された役人の持っている婚姻を承認する権限が、高位のイスラム教導師には認められていない、といったような原則とは関係のない『瑣末な事柄だが心に安堵をもたらす装飾的なもの』が欠けている・・・」
そして、その後10年の間に、AKP政権は上記の“装飾的な事柄”の多くを実現させてしまったのではないかと思う。
かつての信心深いムスリムらが抱いていた政教分離に対する不満は、殆ど解消されているかのように見える。AKPのイスラム的な政党としてのミッションは、既に果たされたと言って良いかもしれない。
昨日の式典でも、エルドアン大統領は、トルコに共和国体制の危機といった問題はないと改めて強調していた。 

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