メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

亡くなったクルド人の友人

 昨年の2月頃だと思う、まだ32~3歳だった友人が世を去った。3か月ぐらい経ってから知ったので正確な日付は解らない。
久しぶりに近所まで行き、「彼の容体はどうだろう?」と訊いたら、「えっ? 知らなかったの? もう亡くなったよ。3か月ぐらい経つんじゃないかな?」と言われた。
友人は南東部ディヤルバクル県出身のクルド人で、教養のある敬虔なムスリムだった。クルド民族主義的な主張を露にする左派の人たちとは異なり、イスラムアイデンティティーの核に据えていた。
この“通信”でも、友人や彼の周囲にいたクルド人たちの意見を度々紹介したことがある。一昨年だったか、友人が癌との闘病生活に入って以来、そういった人々の貴重な意見を聞くことは難しくなってしまった。
その後も、友人はフェースブックで時々所信を明らかにしていたけれど、それも年末が近づくにつれて殆ど見られなくなっていた。6月に“ゲズィ公園騒動”が始まった頃は、まだ意気軒高にフェースブック上の議論に応じたりしていたのだが・・・。
騒動勃発の当初は、「生まれて初めて左派の酒飲み連中に共感した。私も彼らを応援する。何処にでもショッピングセンターを建てて、いったいどうするつもりだ?」というように厳しく政府を批判していた。
しかし、その数日後には、「あんな酒飲み連中を応援した自分を恥じる」と記し、もとのAKPとエルドアン首相支持の姿勢に戻ってしまった。
友人は“和平プロセス”の展開に熱い眼差しを向けていたから、騒動がプロセスに与える影響を心配していたようである。
それから8か月ぐらい後に世を去っているが、和平の成就を見届けることが出来なかったのは、さぞかし無念だっただろう。
彼はスルタンアフメットで、外国人観光客相手の土産物店などを運営していた。土産物店では、「絨毯屋みたいな値切り交渉は時代遅れ」と言って、全商品に値札をつけ、定価販売に徹していた。
外国人客に自己紹介する際は、「エスニックとしてはクルド人で、ナショナリティーはトルコ人である」と説明し、クルド問題に対する誤解を少しでも正そうと努力していた。
しかし私には、AKPのクルド政策へ不満を述べたこともある。左派クルド人の溜まり場である“メソポタミヤ文化センター”に私を案内してくれたのは彼だった。

「ここにいるのは忌々しい左翼の連中ばかりだが、一応クルド人同胞でもあるからな」と笑っていた。
宗教に関しては、トルコの標準からすれば、ガチガチのスンニー派と言って良く、AKPの母体となった“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”に近かったのではないかと思う。
フェトフッラー・ギュレン教団を真っ向から非難することはなかったが、多少この教団を懐疑的に見ていたようだ。彼を教団の集まりへ案内した時にそれが良く解った。
「ラディカル紙とかザマン紙のコラムばかり読んでいないで、アブドゥルラフマン・ディリパク氏のコラムを読むと良い」と生前しつこく勧められたけれど、今年の1月末にディリパク氏の講演会を見に行って、確かに氏が、その原理主義者的な印象と異なり、なかなか常識的な人物であることは理解できた。

友人も極めて常識的な社会人だった。人間関係においては、全てにそつがなく、社会的な通念に配慮しながら、やたらと正義を主張したりすることもなかった。
10年ほど前だったか、2002頃に日本でも封切られて話題になったトルコの映画について、彼の意見を訊いたことがある。
その時に彼が見せたリアクションは余りにも印象的で、今でも良く覚えている。
トルコ人の監督が、「弾圧されるクルド人」を描いた映画で、トルコでも話題になっていたが、彼は全く知らなかったらしい。
私が新聞に書かれていたストーリーなどを説明したところ、「かなり誇張されているが、クルド人の問題が紹介されるのは悪くないと思う」と答えたけれど、そのトルコ人監督の次作が、黒海地方のポントス人(ギリシャ系民族)の悲哀を描いた映画であると知るや、ちょっと後ろに身を反らし、嫌なものでも見たかのように顔を顰めたうえ、片手を小さく振りながら、こう言ったのである。
「いるだろう? そういう人。何処の国にもいるはずだ。日本にもいるよね? 見てなよ、その監督。いつか、きっと“アルメニア人大虐殺”の映画を作るから」
その監督がアルメニア問題に纏わる映画を制作したという話は聞いていないが、やはりセンセーショナルな社会問題にスポットを当てる傾向はあったかもしれない。
友人は、自分たちの問題が扇情的なネタにされるのを非常に嫌がり、警戒していたのである。おそらく、それが現実的な問題解決へのアプローチになるとは思っていなかったのだろう。
確かに、日本では、クルド人の問題が扇情的に扱われ、クルド人政治難民に対する支援が、却って問題をこじらせてしまったようにも見える。
そのため、例えば私は、シリア難民の人々には支援の手を差し伸べるべきだと考えているものの、同様に扇情的なネタにされてしまうのではないかという恐れも感じている。
友人が生きていたら、これに何と答えるだろうか?