メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アクサライの難民レストラン?

10日ほど前、アクサライの辺りを歩いていて、“ハーレプ(アレッポ)・レストラン”という看板を見かけた。シリアの料理でも出すのかと思って、中へ入ってみたけれど、驚いたことに殆どトルコ語が通じない。店の人も食事を楽しんでいる人たちも、皆シリアから逃れて来た“難民”のようだった。

英語で話しかけられたものの、私の英語力ではまともな会話にならない。彼らも残念そうにしていた。シリアではどのくらい英語が通じるのだろう?

うちの近所のスーパー“エルジエス2”で、昨年暫く働いていたシリア難民の青年も流暢な英語を話していた。なんでも、シリアにいた頃は英語の教師をしていたそうである。

トルコ人は英語が解らない」と不満を述べていたけれど、それは場所によりきりだろう。レヴェント辺りの高級団地だったら、おそらく大半の住民が英語を話せるのではないか。しかし、イエニドアンの街では無理だ。やっと見つけた日本人にも英語が通じなくて、『ここはいったいどういう街なんだ?』と彼は驚いていたのかもしれない。

それから間もなく、彼の姿は見かけなくなった。英語の通じる西欧にでも向かったのだろうか? 無事に到達して、元気で暮らしていたら嬉しい。

イエニドアンの街に定着してしまったシリア人の父子などは、余り英語も話せないから、仕方なく、ここの暮らしで満足しているようだが、西欧へ渡ろうとして無謀な冒険を試みるよりは無難で良いと思う。

さて、昨日は、またこのアクサライに出かけて、北イラク料理を食べて来た。ここは看板も全てアラビア文字で、何が記されているのか全く解らなかったものの、店の人たちは少しトルコ語を話す。彼らは北イラクのモースルからやって来たらしい。

しかし北イラクと言っても、どうやら、トルコ語をかなり巧く話す男が一人クルド系なだけで、あとは皆アラブ系のようだった。

シリア難民に纏わるニュースが続いて忘れていたけれど、彼らもイラクの戦火を逃れて来たわけだから、“難民”と言って良いに違いない。どのくらいの規模になるのか解らないが、イラク戦争以来だろうから、こちらのほうが遥かに歴史は長い。トルコは、もう長い間、中東の避難場所になっているのだ。

それから、アクサライには黒人さんの姿も多い。このアフリカから渡って来た人たちの中にも、内戦などの戦火を逃れて来た“難民”がいるかもしれない。難民問題で、トルコによる国際貢献は計り知れないほど大きいと思う。

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