メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ダッカのテロとIS

アタテュルク空港爆破テロもさることながら、ダッカのテロが日本の社会に与えた衝撃は大きかったに違いない。滅多に連絡のない友人まで、「テロは許さん!」と長文のメッセージを書き送って来た。
メッセージには「テロリストを全員処刑したい」とか「彼らの思想を叩き潰すべきだ」といった激しい言葉が綴られている。いつも冷静な友人からは想像もできない“怒り”だった。
日本では事件の詳細が様々な角度から報道されているようだ。ネットからその一部には目を通すことができる。あまりにも惨たらしく恐ろしいので、私は逐一読んでいないけれど、テロ行為の経過であるとか、遺族の方々へのインタビューも掲載されていた。
この悲劇を連日のように聞かされていたら、神経がどうにかなってしまうだろう。友人のメッセージからも、それは読み取れるのではないかと思った。
しかし、事件の背景にあるバングラデシュの国情などについては、もう少し読んでみたい。
6年ほど前、イスタンブール市内にある中堅財閥系の工場を訪れたところ、工場長はトルコ国籍のパレスチナ人で、彼は以前、エジプトとバングラデシュの工場に出向していた経験から次のように語っていた。
バングラデシュの人たちの“のんびり”には人の良さが感じられるし、仕事はちゃんとやってくれる。でも、エジプト人の“のんびり”は怠けているだけだ」
パレスチナで生まれ育ったアラブ人の彼にとって、エジプトの人たちは“同胞”と言っても良いはずなのに、バングラデシュと比較して、エジプトをボロかすに貶していた。バングラデシュの思い出がよほど素晴らしかったのかもしれない。
そのバングラデシュで、ISが勢力を伸ばしているとはやりきれなくなる。
実行犯の一人はかなり裕福な家の生まれだそうだが、ああいう連中に共通しているのは、疎外感や嫉妬などが病的に高まった精神状態じゃないだろうか? 貧富がどれほど影響しているのか良く解らない。オウム真理教の連中もその多くは恵まれた環境で育っていた。
ある日本人は、ISのテロについて、「あれは宗教に関係ないだろう。あいつら女にもてないだけじゃねえのか?」と切り捨てていたけれど、当たらずとも遠からずであるような気がする。
しかし、シリアとイラクに跨る一定の領域を支配している“IS”は少し違うらしい。現在、その中心に居座っているのは、実務に長けたサダム・フセイン政権の残党ではないかと言われている。
トルコでは、ISを「西欧出身のムスリム」や「フセイン政権の残党」などから構成された“烏合の衆”と見て、早晩内部崩壊するだろうと楽観的に考えていた識者も少なくなかった。
フセイン政権の残党であれば、トルコの情報機関に顔が知られていても不思議ではない。政府もその辺りから情報を得て、積極的に動くのを見合わせていた節がある。
ところが、シリアとイラクの領域では、分別のあるフセイン政権の残党が実権を握って居座り、西欧などから集まっていた病的な連中は、世界の各地へ拡散するという最悪の展開を迎えてしまった。これは、手術に失敗して、癌細胞がそこらじゅうに転移した状態と言えそうだ。
トルコの所為にしたりして、責任を擦り付け合うのではなく、世界各国が一致協力して、この癌細胞を消して行かなければならないだろう。
もちろん、イスラムの所為にするのは勘弁して欲しい。イスラムフォビアは、過激なイスラム主義思想にかぶれている一部のムスリムを、さらに病的な状態へ追い込んでしまうかもしれない。
YouTube”で、ISのテロに関する日本のテレビ報道を見ていると、「イスラム国」という言い方が何度も繰り返されている。せめて「自称イスラム国」とは言えないものかと思う。
テレビを視聴している方たちが、後でISの背景について正しく分析された新聞等の記事を詳細に読んでくれたら有難いけれど、大概の場合、興味のない方はざっと読み流すだけで、印象に残るのは、テレビに写された衝撃的な場面や繰り返し聞かされた名称ぐらいになってしまう。
もしも、イスラムに対するネガティブキャンペーンを張りたかったら、これだけで充分じゃないだろうか。人々の間に、なんとなく「イスラムって恐いな」という雰囲気が醸成されれば良いのである。
アメリカで、トランプのイスラム排斥に拍手喝采している人たちの多くも、そうやってイスラムのイメージを作り上げてしまったに違いない。